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テンポラリー通信

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2006年 12月 02日

種子と破片Ⅱ-冬のいのり(36)

声の持つ直接性、音の保つ直接性それはある意味身体性の保つ直接性のよう
に思われる。キースジャレットのケルンコンサートを昨日聞きながらふっと思った
。体が反応するのだ。別に私は音楽青年ではない。でも音楽というのは直に入っ
てくる。ジャズだけがそうだと言うわけではない。音楽という音がそうなのだ。眼よ
りももっと身体性をもってこちらにやってくる。この直接性のようなものを生き方に
置き換えるともっとはっきりしてくる。行動への渇望、欲求である。長く社会的制約
のなかで封印されていた直なる行動、内なる生き方への入り口が体の内部で開く
のだ。ノックされるのだ。若い時にはその落差が少ない。年齢を重ね社会的封印
が厚くなるほどその落差が大きい。音楽青年というジャンルの問題ではなく音とい
うサウンド、響きの保つ直接性がその封印を突き崩す。もっと素直に自分らしい生
き方への渇望が身を焼く。内部から突き動かされる。加齢しただけ厚い虚の自分
を実の自分に取り戻す熱い願望が身を焦がす。その時青い光が燃え上がる。何
をどうするか、どう生きるかその問いが深く潜行する。石田善彦さんの死に際の気
持ちが今そのように感じられる。昨日BOOXBOXの田原洋朗さんの話を聞いてそ
う思った。やはり亡くなる前に長い電話が来て音楽の話村岸さんの話を1時間以上
話していたと言う。音楽を生業にしている人たちへ彼は沢山話したかったのだ。そ
れは音楽青年であったと同時に音を通して直接開かれた自分の生き方への直接
性の回復そのものへの渇望、行動を語りたかったのではないだろうか。それはか
って黒ヘルメットで田無の三菱重工業に兵器製造疑惑の直接反対行動に参加し
た時の熱い血が騒いでいたのかもしれないし、南正人のライブで背広を脱ぎ捨て
演奏に参加したある日の石田さんだったのかも知れない。それは私自身が現在の
場所に来るまでに脱ぎ捨ててきた裸の自分を意識して思うことである。進退窮まる
一線で闘う生きる私を彼もまた激しく動揺する内なる自分を揺り動かされるように
見ていたのではないかと思う。その生き際に充分立ち会えなかった私を、今悔恨
のように見詰めている。音は身体を揺り動かし閉じられた魂の種子の扉を叩くのだ
。自分の時間を取り戻す”モモ”の闘いのようにね、そうだね、石田さんそうだね。
今は破片となった死者の身体から浮遊する種子は、私の土壌でそう語りかける。

by kakiten | 2006-12-02 12:59 | Comments(0)


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