雨,霰の日。一気に冬の様相。東京目黒の正木基さんから先日連絡来る。何年振
りかしら。探したよと言う。そう云えば新しい住所まだ連絡していなかったんだ。今
度重森三玲展を企画していると言う。その子息の重森弘奄、北条明直、下田尚利
、工藤昌伸の編集した「いけばな批評」という雑誌を探していて私を思い出したと言
う。全30巻ほぼ揃っているので送る事を約束する。‘70年代いけばなを美術表現
として個の側から家元制度の縦軸からの脱却を志し横軸の批評を展開した優れた
雑誌である。国会図書館でも探しネットで検索したけれど見つからなかったと言う。
創刊号は1973年5月で中川幸夫を第一回の誌上作家個展に据えている。最終
号は1976年3月でほぼ毎月出版された。創刊の辞に代表して重森弘奄が書い
ている。「外見ははなばなしくも、先頃のいけばな芸術協会展の内実の空虚さには
眼を覆いたくなりました。ここには、いけばなを変えていこうとする表現志向のいささ
かのかけらも見受けられなかったからです。にもかかわらず入場者の盛況は、逆
に所属会員を安堵させたことでしょう。だからこそ、安心できないのだと言わなくて
はなりません。こうした現況をふまえて、「いけばな批評」誌は、みせかけの活況に
足をすくわれているいけばな界と鋭く拮抗しつつ、内側からいけばな界の新しい創
造的な地平を切り拓くべくがんばりたいと思います。」外見のはなばなしさや盛況
に対峙して平易な文章の内側の溢れる熱い決意は今も少しも色あせてはいない。
佐佐木方斎さんが「美術ノート」で美術界の内側から道展や全道展等の団体に対
峙しつつ外へと展開した状況と直接の分野は相違してもその表現への開かれた想
いは同じと思う。時代は違ってもその闘いの構造は少しも変わっていないのだ。時
に中川幸夫をいち早く取り上げたのみならず、当時の池坊の家元池坊専永のコー
ヒーのコマーシャルに引っ掛けて本人との対談で<心を活ける~。違いの分かる
男のコーヒー>に噛み付き「心を活けるは当り前じゃないですか、問題はどんな心
で何をいけるかが問題でしょう。」と問い詰め流派の門弟者からひんしゅくを買い
騒ぎになったりさえしているのだ。心を活けるという主語不在の一見小奇麗な形容
詞と動詞だけで成立した欺瞞性をこの雑誌の編集者たちは果敢に見抜いていたの
だ。今またこうした雑誌の功績に美術館の側から陽の目が当てようとする動きがあ
るのはとても嬉しい事である。しかしこうした文化の運動の痕跡が権威ある筈の大
きな図書館にも収蔵されていないのは何なのだろうと思う。もっとも佐佐木方斎さ
んの「美術ノート」も札幌の道立近代美術館には収蔵されていなかったのだから
問題は同じことかも知れない。<近代>の権威は大事だが<現代>に属する未
権威の定まらない物は敬遠するのかしらね。今している「現代アートのフロントラ
イン」も「近代」美術館には馴染まないはずだが。同じ美術館でも随分と展覧会の
眼差しに差があるものだ。♪違い分からない男のゴールドブレンド~FIX・MIX・
MAX!