今年五月の帰札以来ほぼ半年振りにケンちゃんこと谷口顕一郎さんからの便りだ
った。彼はドイツのベルリンに滞在していて今はアーテイストビザも獲得し彼の地に
根を下ろそうとしている20代後半の青年である。毎日このブログは向こうでも読ん
でくれているらしい。しかし彼からの便りは滅多になく今回は久し振りの便りでその
分長文で濃いものだった。昨日の引用はほんの一部だったが先ず追悼から始った
のだ。それは極めて自然で心打つものだったと私は思う。以前の場所と今ここの場
所が自然にふたりの人間が掛け替えのない様に繋いでくれたと思えた。もう追悼め
いた話はいいという向きもあるのだろうが、想う人がいる限りその人の数だけ追悼
はある。ひとつひとつ、ひとりひとりの掛け替えのなさは数量に還元出来る物では
ない。個別は数値ではない。ひとつの個別は私の中で万華鏡の揺らめきとなって
別の光を保つ。そうではなくて単調にまたかと思うのはそれぞれのもうひとつの個
別性だからそれはそれで仕方のない事だとも思う。心の間隔の問題なのだ。同じ
道を歩いていると思うか、同じ道を歩き深めていると思うか。それはやはり心の間
隔が判断する。ブログは公開性も持っているが基本的には日記である。心の間隔
をなおざりにして読者に媚びる事はしない。私にはふたりの若い人がふたつの場所
を繋いでくれた熱い気持ちに例えそれが追悼という悲しい事実を伴なっていたとし
てもその感謝の気持ちに変りはない。個展という形でふたりが表現した一回性の
燃焼は数の消費ではないのだから。場というのは限定された場所をいうのではな
い。人の志が場を創るのだ。その場が特定の場所を指すのであれば凡ては体験
主義に陥るだろう。ふたつの違った場所を志の場として共有したからこそひとつの
場のように語る事が出来るのだ。谷口さんの文章は私にはそのように感受された
。そして村岸さんの事でそのように語ってくれたのは彼だけだった。それが私にと
っての掛け替えのない個別でもあるのだ。個別という<個>は決して閉ざしたもの
ではない。それぞれが虹のように開いているものだ。<別>であっても閉じた別々
ではない。勿論未練でも喪失でもない。心の間隔が深まり触れる虹の距離なのだ
。
*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
10月22日〈日)-31日〈火)AM11時-PM7時
札幌市北区北16条西5丁目1‐8
tel/fax011-737-5503
会場テンポラリースペース