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テンポラリー通信

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2006年 10月 17日

分断と接続ー冬のいのり(4)

ブログを打ち込むのは午前中が多い。頭が新鮮な内である。でも時にそれがいろ
んな事情でできない事もある。それはそれで仕方がないのだがなんとなく1日落ち
着かない。機械による分断と昨日書いてから機械と道具の違いを思っていた。例え
ば自転車は足の延長で車輪に足の力を伝え増幅する。しかし自動車は足の力は
小さくエンジンの力が大きい。機械の力の増大と身体の力の減少は反比例して働く
。身体の力の度合いが少ないほど機械の力の度合いは増すのだ。その時身体は
触れる、タッチにまで小さくなり、触れること操作する最小の身体に矮小化される。
そのことを身体の力の増大と取るか矮小と取るかで価値観はひとつ別れるだろう。
つまり分断と取るか接続と取るか。多くは力の増大を便利と置き換えその接続を
機械の操作のタッチのように利便性の側から享受しているのが現実だと思う。しか
し操作している積りでも見方を変えれば操作されているのかも知れなくて、マンガ
の鉄人28号という古いロボットは操縦器を奪われると悪人の意のままに動き悪の
手先ともなるのだ。しかしガンダムになると自らがロボットの内側にあり、その手足
の増幅装置は自らの痛みとも接続している。身体性は生きているのだ。現在の機
械力は古いロボット鉄人28号と同じで身体性とは分断の位置にある。操縦の主導
権を何らかのトラブルで他に奪われるとそれはこちらに災厄として襲いかかつてく
る。電線が3本船のマストに引っかかり切断されるという最も単純な力で精巧を極
めたハイテクの都市機能は総て失われ分断されたのだ。電力という操縦機を失う
と都市の身体機能はゼロに近くなる。人はそれを不便と捉えるが身体の痛みとは
直接捉えない。タッチしても機能しない不便さを怒り呪うだけだ。直接は接続してい
ないのだ。ガンダムの未来性はその直接性にあって我々は依然として鉄人28号
の分断を生きていて操縦の利便性を身体の分断と意識しないで生きているのかも
しれない。

by kakiten | 2006-10-17 13:17 | Comments(0)


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