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テンポラリー通信

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2006年 09月 23日

秋は喨喨と空に鳴りー秋のはなし(14)

北海道新聞の記者の人とともに、佐佐木方斎さんの家を訪れたのはもう二週間
近く前の事だった。その時のインタビュー記事とともに昨日の夕刊に見開きで’8
0年代の輝き熱くという見出しで大きく現代作家展と美術ノートの事が佐佐木さん
を中心に掲載された。私が仕掛けた佐佐木方斎展の’80年代の軸心という発想
が一応公的に認められた事でもある。ただ、相も変らず評論家のY氏とか美術家
でパブリックアートの第一人者のK氏とか映像関係のN氏とかあまり佐佐木さん
の志を受け継いでいるとは思えないむしろ知らん顔系の方々がさも当時の事を
知り尽くしているかのように登場するのはマンガだった。今必要な事は佐佐木さん
の作品に対するきちっとした評価と現在の彼の位置付けであり、輝いていたという
過去への目線ではない。佐佐木さんがした「美術ノート」全十巻や野外の展覧会
北海道現代作家展の地域を越えた作家の交流等は今こそ問われてしかるべき
コンテンポラリーな課題なのだ。レジデンスという滞在型の文化庁主導の美術の
国際交流パターンや受け手としての批評のあり方、箱型の展示空間の超克等今
もっとラデイカルに問われるべき現在形の視線が必要である。佐佐木方斎という
時代に孤立して先行したランナーの現代性こそ今問われるのである。運動体と
してわいわい賑わっていた時だけのお仲間の話などどうでもいいのである。むし
ろ’80年代に生を受けた世代の純粋な感想の方がはるかに新鮮でラデイカルで
あるのは私が企画して佐佐木方斎展で感じた事実であった。会期中この昔のお
仲間とおぼしき人たちは誰一人として会場に足を運ばなかったのである。新聞ダ
ネになるとゾロゾロと訳知り顔で出てくるのはなにも今回の事だけではなく故M君
の追悼展とか騒いでいる人たちの多くも彼の個展に顔も出さなかった連中でこう
いう蝿のようなジャーナリズム病患者は世代を問わず存在するのだ。それも悪意
ではなくあたかも善意からそうしているのだからどうしようもない。一種の高等ミー
ハーであり、ミーハーに実は高等も低等もないのだがタバコのライトやマイルドみ
たいな表装の差別には敏感なのだ。それ故世渡りは表層的にはお上手である。
作家という表現者の一番大切な個展や仕事を抜きにどういう事情があったにせよ
それを見逃した事の悔恨や一言のお詫び,反省を抜きにその作家に対し社会的
発言をぬけぬけと善意面してするなと言いたい。個別の思い出の垂れ流しを本質
的な問題と錯覚するなと言いたい。

  いのる言葉を知らず
  ただわれは空を仰いでいのる
  空は水色
  秋は喨喨と空に鳴る 

高村光太郎の「秋の祈」を引用して今日の晴れた青空に気持ちを切り替えようっ
と。今日は阿部守展の事はお休みです・

*阿部守展ー30日(土)まで。
*及川恒平コンサート「秋のはなし」10月8日(日)pm4時~3000円
*酒井博史コンサート10月4日(水)pm7時開演ー1000円

by kakiten | 2006-09-23 14:09 | Comments(0)


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