中央に梁から吊るされた深めの舟形の鉄の器がある。そこには水が満たされて
底の小さな穴からある間隔をおいて雫が滴る。その下には直径90cm位の突起
が中央にある円盤状のものが置かれている。その凸の裏側には磁石で固定され
た熱線があって上から落ちた水の雫は一瞬音を立てて蒸発する。その横には同
じ直径の中央に凹みのある円盤が置かれている。さらに少し離れて40cm程の
鉄で出来たお皿が黄褐色に錆びてあり、その反対側に30cm程の銅のお皿が
深い水色と緑の緑青色を見せている。黄褐色の方は英国の水による錆で緑青
色の方は沖縄の海水による物だそうだ。吊りと床に置かれた円盤状の凸凹と皿
で構成されたシンプルな展示だ。ただあるゆっくりとした間隔で水滴が音を立て
煙を一瞬昇らせジュッと消えていくのは不思議な時間である。なにか祈りのような
手を合わせる行為にも見える。鉄は火と水によって精錬される。最近の阿部さん
の図録のよれば一度創られた鉄の作品を陶芸の登り窯に入れ再焼成している
作品があって、ここでの試みも火に対して水を使うという鉄という素材への原点
からの確認行為と思える。多分作家にとって大事な原体験の地である英国と沖
縄の海水が腐食させた作品を配置し、と同時に鉄の精錬の原行為である火と水
をインスタレーシヨンとして見せた事は阿部守自身の作家としての、これは原風景
を展示している事なのかも知れないと思う。錆となり素材と同化した英国と沖縄
の水が色彩の違いとして展示され一方で現に滴り蒸発しつつあるさっぽろの水と
いう提示から作家の場所への想いを感じる事ができる。しかし熱に触れ蒸発する
水を使う事で彼自身がさっぽろで何を確認しようとしているのかその事の関係性
は依然としてまだ見えてはこない。ただ作家の原風景と素材の原行為を見せる
という場への誠実さは確認できるのだ。しかしその<場>への誠実さから如何
に転じて何が開いているのかはこれから会期中に問われる事で今はまだ未明の
内にある。作家は湖を見たいと言って今日は洞爺湖に出掛けた。明日のオープン
から私は作品と対話しながら阿部さんの誠意に応えを求めていく二週間となるだ
ろう。
*阿部守展ー9月16日(土)‐30日(土)まで
am11時-pm7時(月曜休廊)