人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2006年 09月 10日

風強く曇天ー秋のはなし(11)

’84年9月から’86年8月まで平均80余頁の「美術ノート」全十巻は濃い時代
の軌跡を圧縮したようにある。この雑誌もまた一枚ずつめくりそして開く事で始る
のだ。そして会期中の1日1日もめくるように、開くようにあった。現在と過去が当
り前のようにクロスオーバーし今日を織り成した。明と冥が点滅し生と死が親しく
存在した。外へ向かって開いた精神のドラマがあった。いや、いまもそれは在り
続けている。自らが<開く>行為の内に。運動としてあるいは個として閉じながら
なお、開く行為の内にそれは今もある。飯塚優子さんが来る。彼女は今自宅を
レッドベリースタジオとして演劇を主体の小劇場を開いている。’80年代4プラ
の自由市場に勤めながら駅裏8号倉庫にも参加した人である。しばしそのころ
の事と’90年代のばらけた時代の話をした。’90年代は公が主になりパブリッ
クアートが主流を作っていく、民が主体となってオーバーフエンスした’80年代
との違いなどが話題となる。今はその公と民の狭間にいる個が主となる傾向の
時代かも知れない。と要約すればそんな話だった様に思う。公も民も個もいつ
の時代もあるわけだけれど”うねり”としての時代の味の違いはあるようだ。今だ
って公のパブリックアートは盛んだが、根っ子を近い時代に求めれば民が疲弊
し公に擦り寄っていった時代はすぐ前に在るのだ。飯塚さんのように自宅を小劇
場にし拠点とする個の活動次元は佐佐木方斎さんの’90年代にもギヤラリーT
とカフエとしてあった訳でその公と対比される個の時代も現在の状況に繋がるの
である。飯塚さんも佐佐木さんとの共通性には気がつかなかったようだ。ともに
運動体のように文化の越境を経験しその熱い時間の後個として活動を持続させ
ようとしたのだった。私自身の問題として言えば’70年代にすでに公共事業とし
ての都市の画一化の闘いを体験したことからパブリックワーク内アートに幻惑
される事はなかった。いつも個の軸から場を考えてきた。敢えてコンテンポラリ
ーを名のらずテンポラリーを主にしたのもその謂である。
そう書いていると中川潤さんが賀村さん宅に預けている資料、本類を二回に分
けてどっさりと運んでくる。加藤玖仁子さんから昨日の方斎さん宅訪問の感激
を伝える電話がくる。今と過去がいっぺんにどっと来た。会場はもう資料の山で
ある。佐佐木方斎展の最終日はやはりそういう日だよなあ。と観念した。

by kakiten | 2006-09-10 13:11 | Comments(0)


<< 整理に追われるー秋のはなし(12)      夏の疲れ続くー秋のはなし(10) >>