昨日友人の河田雅文さんの店Мを訪問。
ガラス作家高臣大介さんの展示もあり、彼が購入してくれた
若林和美さんの展示作品を届ける用もあったからだ。
そして河田雅文ー通称雅さんにも久しぶりに会いたかった。
革めて彼の世界中から直接選び展示し販売している衣類の
革新性に気付き感動した。
どこか私たちの体に残存している洋服―和服という分別、
そして男女という性別すら消えて、単純に着てみたいと感じ、
手に取っていた自分がいた。
私たちは、着るもの・着物(きもの)を身に纏うという
本来の着こなす伝統を明治の近代化の流れの中で置き
忘れて来たのではないのか・・・。
<身に纏う>ではなく、<ボデイに装着する)ように
和服→洋服の形(かたち)の近代化を辿って来た気がする。
そんな受け身の衣装の近代化を歩んで来た気がしたのだ。
幼稚園の園児服に始まり、学生服ー社会人の背広ネクタイ
、スーツ、冠婚葬祭の和洋礼服・・・。
雅さんの選び抜かれた服類は、そのどれもが自由に身に纏う
着るものとして存在し、私などのような無粋な人間にさえ、
ふっとこれ着てみようかな・・と思わせるのだ。
この服の世界は、和・洋でもなく男・女でもない<着る
ものー着物>を纏う<身>の世界なのだと思う。
形(かたち)として区別する近代が、<身>を通底して人類
共有の容(かたち)<着るもの>として光りを放っている・・。
真のグローバリズム、現代と思える。
ボデイに装着する用の形=衣装ではない。
袖を通し身に着ける<着るもの=着物>として、現代に
甦っている気がした。
雅さんの試みている服の世界は、近代化の形(かたち)
から容(かたち)への深化、内側の身から発する真の
現代化が息づいている。
彼が重ねてきた多くの経験ー十代の英国美術大学留学、
帰国しプラハを中心とした美術活動、インテリア設計、
旧琴似川を追跡した映像表現等々・・。
それらの経験すべてが、<着るもの>に通底する<身>
の復活として隅々に溢れている気がする。
そして着るもの=着物という何気ない普段の日常性に
最新・最速といった表層の現代を超えた真の近代化・現代
が発芽しつつ在る事に感動したのだ。
私は、自らの<身の程知らず>を痛快に感じていた。
*花人・花屋敷展ー12月中旬予定。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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