花器店の血が騒いで少し続きを書きます。
<祈り>が人間の人間である所以であるというのは、他者を
思うという事だ。いつかTVでみたけれど、クロロマニヨン人と
ネアンデルタール人どちらが人類の先祖か、というテーマで化石を
調べた時傍にお花の化石が添えられていたほうを人間の祖先と考えた
番組があった。死者を悼む気持ちが花だとすれば人の始まりには<祈り>
が原点にある。花を添える、器に入れる、そして立てる。その時祈りが
形になる。奉るー立てる。祈りの形、両方の手を合わせている形である。
特定の宗教をここで意味するのではなく、勿論流派でもない。つまり心
の形としてである。それが日常にあるというのは、本当は凄いことだなと
思う。<祈り>を忘れてただキレイといって飾るのは、社会が豊かに
なったともいえるし貧しくなったともいえる。ただいけばなの原点は<祈り
>なのだ。ここが無くなる。その事を思う気持ちが伝わる。
いけばなを志す人が、<立てる>器をここの最後に決して安価ではない
のだが購入してくれるという。その気持ちが嬉しかった。それがいけばなに
ついて書きたくなった原因のひとつです。
洞爺より高臣大介来る。搬入展示である。4時過ぎHBCTV来る。明日
10日午後6時台ニユースで放映予定。外からもじっくり撮影。
ここの佇まい絵になる。夕暮れの光、大介のガラスに映えて美しい。
撮影終了は8時半過ぎ。いい絵沢山撮れたろうな。若い記者とカメラマン
の熱意を感じる。