雲ひとつなく空が青く円く感じる。この青い空気層の向こうは漆黒の真空。そんな凄
みさえ感じる全天円く青いドームだ。九番目の惑星から除かれた冥王星の<冥>
の字が頭にあるせいかも知れない。青い空の背後の冥を感じるのだった。青空
のような<精神のラインダンス>(菱川善夫)を’80年代の「美術ノート」に触発さ
れながら同時に<冥>の存在を想っている。Mの死がそこには影響を与えている
のかもしれない。都市の光景と白樺。藤谷康晴展と村岸宏昭展。そしてその底流
のような’80年代を軸心とする佐佐木方斎展。この三人の一見別々の表象がこの
一ヶ月の間、からまり、ほぐれながらも大きなうねりのように存在している。そして
そこには私自身の生き方、来し方も反映され現在を映し出す。場をトランスとして
かかわる事でこの三人の展覧会は合流しラデイカルな時代の中心の流れに触れ
ていた気がする。来月九州から満を持して来廊する阿部守展でその流れがまた
いかなる加速を生むのか、’80年代北海道現代作家展に参加し’92年テンポラリ
ースペースで’03年同じく個展を開いた阿部守はこの間の一貫した立会い人でも
あるのだ。今回さっぽろの川と水をテーマにするというのも不思議な偶然でもあり
必然のようでもある。佐佐木方斎展が深めた同時代の流れが阿部守展の流れを
今ぐっと引きとせてあるように思うのは私の思い込みだけであろうか。今年二月か
ら歩きつづけて辿り付いたこの場の新旧の流れは単なる思い込みからだけで出来
た訳では、決してない。それにしても佐佐木方斎が「美術ノート」を一つの函にして
開いた意志は今日の青空のように円く高い。<やはり美術は、青黒い沼地に沈ん
で他の何かに隷属しているより、青空を疾駆する天馬のような世界であってほしい
と願う。そのためには他の表現とも積極的に交わっていかなくてはならないし、な
によりも美術自体に変な境界域をもうけないということだと思う。とはいえ、現実に
は、様々な価値付けや格差付けが横行している訳で、それ故にこそ、言いたいこと
が言えるような場が必要なのである。「美術ノート」はあくまで一地方の小冊子にす
ぎないし、どれほどの力があるのかも分らない。それでもやはり外側にはいつも開
いていたい。>(’85美術ノート№5編集後記)そして今<青空を疾駆する天馬>
は、’90年代の<冥>と重なり非公認の青い深みとなって、その青空を疾駆する
一人一人の天馬のような現在があるのかもしれない。そしてその個の現場からは
<どれほどの力があるのかも分らない。・・それでもやはり外側にはいつも開いて
いたい。>ー同じ言葉が発せられているのを聞くのである。