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テンポラリー通信

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2020年 06月 11日

樹・着る―荒地(26)

いつもギャラリーへ通う時近道に通る道角の公園。
先日ふっと立ち眩みがして休んだベンチの傍の大樹。
多くの緑の葉が茂っていた。
冬・早春の裸木の姿に感動したが、緑の衣装を纏った
夏の姿も良い。
樹が着物を纏っている・・・。
そんな気がした。
二年ほど前織りと染色をしている布の作家が初めて着物を
仕立て現代美術の画廊で展示したのを見た事がある。
作家の母上が亡くなり、初めて着物に仕立てたと聞いた。
お母さまの背丈、身体を想定をして織り上げ仕立てた気持ちが
見る方にも伝わる感動があった。
この時私は初めて日本語の<着物>という言葉の意味を理解
した気がした。
衣装でも制服でもなく、身が着る・もの・・・。
私たちはここ百余年の程の近代化によって、<身>という感覚を
忘れ、身はボデイへと変質しつつある気がする。
生まれた時からある目的性の有した服をボデイに纏って大人となる。
園児服ー学生服ー背広といった具合だ。
着るものの主体性が、身にはなく身はボデイのサイズ対象なのだ。
着るものとしての<着物>は、<身>が主体で、精神性・個性も
秘めていた。
そんな<身>の言葉はたくさん遺されている。
曰く、もっと身を入れろ、身に沁みる、身も心も、身の丈に合った、
身の程、身銭・・・。
人が主体で着るもの・・・着物。
あの公園の巨木は緑の着るものを、枝から幹から梢に至るまで
身に纏っていたのだ。
何の樹か未知だが、彼・彼女は身から出た固有の着物を着ている。

植物はどこか遠い日本人の姿・形のようである。
着物の裾が風で揺れる風情は、草花の姿に似ている。
裸木の幹・大枝、小枝、梢の立ち姿は羽織・袴の立ち姿に似ている。
それに比べ多くの洋服姿は、用途目的の明白な制服性を強く感じる。
鹿鳴館の夜毎の舞踏会で始まった日本の近代化の衣装性が、そう
させているのかも知れない。

コロナウイールスで露見した、人と物の物流のグローバリズムは
中国一地域で発生した流行病を瞬く間に人と物のグローバル回路を
通して、世界中へと伝染を拡大させた。
我々は今一度風土の固有性に目覚めなければならない、と思う。
グローバルはインターローカルな個の位相まで、あの一本の樹
のように<身>を正さねばならぬ。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


by kakiten | 2020-06-11 16:58 | Comments(0)


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