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テンポラリー通信

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2020年 03月 10日

喪われた10年ー荒地(13)

生涯人前で大野一雄を父と呼ぶ事のなかった慶人さんの
喪われた10年を思う。
唱和13年慶人さんが生まれた年、大野一雄は召集され
戦場へ向かった。
それから昭和23年まで大野一雄が帰国するまで家族は
一緒に住む事はない。
10歳になっていた慶人さんは、見知らぬおじさんをど
う思って過ごしたのだろう。
それでも父という人の背中を追って、同じ舞踏の世界に
入ったのだった。
国家・社会の軋轢に拠る戦争という時代がこの喪われた
10年を生んだ。
戦後という時代の原点には、戦争という荒地・心の荒廃が
ある。
戦争に拠って断絶した西洋舞踏・ダンスへの憧れを、大野
一雄は復員帰国後即座に再開した。
西洋のポエムに啓発され現代詩の道を志した鮎川信夫の戦争
体験を経た詩の道とどこか響き合うものを私は感じていた。

 たとえば霧や
 あらゆる階段の足音のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す
 -これがすべての始まりである。

            鮎川信夫「死んだ男」冒頭

湯川信夫の<遺言執行人>とは、帰国途上大野一雄が船から何度
も見送った戦友の水葬、その時集まってきた水母の群れ。
その想いを帰国後「雲母の踊り」として踊り続けた事に繋がる
死者への想いと思う。
私達が曖昧に呼ぶ現代とは、この多くの無名の死者たちに縁どら
れた戦後から始まっている。
3・11東日本大震災に象徴される大津波・大地震・原子力発電
所崩壊のこの9年とは、故里の崩壊・近親者の不在という見えな
い廃墟、心の荒地の存在を顕かにした気がする。
大野慶人の心の孤児の体験は、現代の始まり、基底として近代
と現代の橋上のように在る。

 私はなにをしてきたのだろうか?と思います
 いつのまにか”舞踏”にいたのです。
 どうかお許しください、勝手な行為。

この慶人さんの遺されたメモのような短い独白に、私は彼の
生きて来た戦後という近代と現代の界(さかい)を思うのだ。
<いつのまにか”舞踏”にいたのです>は、きっと<いつのまにか
”父”の背中、父を見詰め追い駆けていた>事と私には重なるのだ。
戦後という膨大な死者たちの近代の荒地を乗り越えて、自己に
とっての真のモダニズムを闘いとる父の舞踏の背中を感じながら。
<私はなにをしてきたのだろうか?・・>
この問いは現代を生きる私達すべてに通じる基底低音・トニカ
のように私は感じている。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もいなかった。
 ・・・・
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつつこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 ・・・・

鮎川信夫「死んだ男」のこの最終行に響くものは、戦争・自然災害を
問わず理不尽な死・無念の死を見詰める死者と生者の眼差しのように、
思えてならない。
私達の現在とは、この<太陽と海>の崩壊の欄干に縁どられて
いるからだ。
大野慶人の孤独は、私たちそれぞれの9年目の3・11の孤独
に繋がるものなのかも知れない。

もう一度逢って話ししたかった、慶人さん・・・。


*秋本さなえ展「ランドスケープ」ー3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 



 


by kakiten | 2020-03-10 18:37 | Comments(0)


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