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テンポラリー通信

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2006年 08月 16日

追悼・村岸宏昭(2)ー界を生きる(47)

もう止そうと思っていたが村岸さんのホームページを読んで書きたくなった。今日の
お通夜に行けなかった性もある。彼のホームページには今回のここでの個展が載
っている。白樺を抱いている見に来た人たちの写真。そしてドキユメントとして私の
テンポラリー通信の抜粋。日付を追って順番に掲載されている。今読み返してみる
と辛いものがある。どこか予感のように生と死の狭間に触れているのだ。だからマ
ジな作品論はもう書きたくは無い。それより最後に一緒に飯を食った学生食堂のメ
ニユーとか、彼が野菜を沢山盛って食べていたとか、私は餃子の定食だったとか、
そんなことが思い出されるのだ。私の方がガキのようにガツガツ食べて彼は静かに
食事をしていたなあ。なにか優しく見守られていたような気がする。こういう所なん
ですよ、どうですかみたいな感じで見ていたのではないだろうか。見る視線。一歩
退いた眼。そういう感じは前からあったが最後もそうだった。個展の最中は余りそ
れを感じなかったがむしろ最終日のラストの演奏のように熱く剥き出しの素の彼
が前面に出ていた。前のブログに載せた写真と同じ時の他の写真に彼が大口を
開けて歌っている一枚がある。この写真を見せた時小さく笑って「これは一瞬で
すよ」とクールな言い方をしたが歌っている彼を見た人は誰もいないのでこれは
貴重な写真である。ここにも普段あまり見せない素の顔があって本当はもっとそ
の部分を出せばよかったのにと思う。この撮影は小牧さんという写真家のテンポ
ラリースペースプレオープニングでのものだった。最後にみんなが酒井さん、大
介さんと声合わせ歌っていた時の事だった。このスペースが開廊する過程で共
に開いた時間をいつか共有していたのだと思う。それが個展となって結晶したの
だ。それだけに今度の突然の死はそれはないしょという気持ちが残された方には
強い。しかし最後の食事の時の一歩退いたすっと見ている視線は今なにかその
後の彼を暗示していたかのようにも感じるのだ。

by kakiten | 2006-08-16 20:49 | Comments(2)
Commented by 土田彩織 at 2006-08-16 22:15 x
私も今日のお通夜に行けなかった一人です。

そして私も彼のHPを何度も見てしまい
そして出発前、最後に書かれた日記を読んで
どこか何か予感させるものを感じてなりませんでした。
読んでいると、とても切なくなるものでした。

そして昨日は何故かとても眠くて、たくさん眠っていたのですが
何度も村岸さんの夢を見ました。
彼は実にいつもと変わらない見守るような笑顔でした。
そして変な声で電話に出て驚かせてたこと、
食べ物を分け合って食べて喜びあったこと、
面白い話をして笑いあったこと。。。
そんなシーンばかりでした。

テンポラリースペースのプレオープンのめでたい日
酒井さんの演奏と歌に合わせて一緒に歌ったときのこと
テンポラリースペースの再スタートを喜ぶ
みんなのこころがひとつになった気がして
とても心地よく感動的でこころに残っています。
その場に立ち会えたこと光栄に思っています。


中森さんのブログを読んでとても共感されたので
ついコメントしてしまいました。
Commented by kakiten at 2006-08-17 11:05 x
彩織さん>そうですね、五月のプレオープンと今度の村岸展と両方と
も経験されてのコメント実感に溢れていてとても嬉しいです。夢の中に
出てくる彼も安心して出てきたのかも知れませんね。昨夜はここにみんな集まってきました。もうひとつのお通夜会場でしたよ。


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