木を見て森を見ず、という言葉がある。
今の季節一本の裸樹の立ち様を見ていると、この言葉が
反語のように思えてくる。
森を見て木を見ず、である。
多くの木の集まる森の大きさに囚われて、個々の樹の保つ
立ち方・生き様を感じられなくなったら可笑しい、と思う。
政治や経済という社会的インフラの側に立つ価値観には
俯瞰体として森を見るような価値観があるだろう。
一方文化や福祉の側から見れば、一本の樹のような個の
価値観が重要な筈だ。
昨今の社会情勢は、明らかに多数体・集合体である森に
依拠した価値観が支配的である。
葉が衣装のように色彩を変え、やがて裸木となって立っている。
個々の樹の立ち姿が、それぞれ個性的で厳しく美しい生命の裸形
を見せてくれる。
公園の片隅の美しい一本の裸樹に、私は喪われた森を感じた。
オリンピックをはじめ、ビエンナーレ、トリエンナーレと
国際的な大きな森のような催事が盛んであるが、元を正せば
個々の作家、競技者がのあつての祭り・集合体なのだ。
一本の樹の立ち姿・生き様を抜きにして、森はない。
芸術の秋、という季節柄、多くのフライヤー他印刷物が送られてくる。
このDМは最終的にひとりの個のもとに発送され手渡される。
何百、何千、何万枚刷られようと、最終的にはたったひとりの手に
届ける為である。
演技する者、競技する者、描く者、創る者、発するのも個である。
集合する森のような大きさ・広さに囚われて、個の心の裸魂・裸木
を見失ってはならない筈だ。
東京・札幌オリンピック騒動、各種国際芸術祭等の喧騒に、森を無
くしたたったひとりの裸木に心寄せて想う。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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