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テンポラリー通信

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2019年 10月 23日

都市の起点ー子の近代(10)

宮城県牡鹿半島鮎川への旅は、私の鮎川信夫への旅でも
あった気がする。

昨日夕刻大学出版に関わる仕事で来札した竹中英俊さんが来る。
今月の訪問では、私の先輩門倉弘さんの関わった本「芸術・国家
論集」を持参するという事前連絡があった。
そこでふっと棚奥に袋に詰めてある早稲田大学新聞の古い束を想い
出し、引っ張り出した。
竹中氏の持参される本に登場する論者達は、すべてが門倉先輩の
時代に大学新聞の常連で書いていた人たちだったからである。
中村宏、大久保そりや等々・・。
引っ張り出した袋にはその他色々なものが詰まっていた。
札幌に帰ったころ札幌でも主版されていた「読書北海道」新聞、気
になった記事の載る朝日・読売・道新等の新聞紙。
そしてその中に友人たちと出していた「プロヴォ」という状況論誌
があった。
その一冊、かって私が書いた<都市の起点ー鮎川信夫「白痴」抄描>
が載っているではないか。
読み返し、今回の旅で感じた鮎川信夫への焦点が、すでに予感される
ように展開されている事に驚きを抑えられない。
以下引用。

 ひとびとが足をとめている空き地には
 瓦礫のうえに材木が組み立てられ
 槌の音がこだまし
 新しい建物がたちかけています
 やがてキャバレー何とかとか
 洋品店何々になるのでしょう
 わたしはぼんやりと空を眺めます
 ビルの四階には午後三時から灯がともり
 踊っている男女の影がアスファルトに落ちてきます

               「白痴}1951年「荒地詩集」

戦後間もない時期に記された鮎川信夫の詩行は、私達の<空き地>
から<都市>の始まりを、白黒の記録写真のように確かに捉えて
いると、私は感じている。
ーーー
空襲と爆撃が残した可視の廃墟が、不可視の廃墟へと暗転する
一瞬を、私は、ひとつの<始まり>と思うのだ。
ーーー
戦後の都市の始まりを、<ぼんやり空を眺め>る行為によって
受け止めた鮎川は、<空にむかって眼をあげ>という明白な一行を
意志する事で「死んだ男」を1955年にもう一度書く。
それは「埋め立て」と「解体」の上に浮かび上がった都市の構造を
敗戦後の<廃墟>と<死者>の眼差しによって透視するものだ。
私達の<都市>に対する起点は、そこを起爆点として<摩天楼>か
ら<鹿鳴館>まで撃たねばならぬ。
                 (プロヴォー7号載)

すでにこの時ふたつの近代への視座が語られている。
摩天楼=タワービル群、鹿鳴館=という洋館街。
明治以降大正・昭和初期のモダニズム・都市化。
敗戦後の米国化モダニズムの市街地化。
復興の足元に横たわる<埋め立て>と<解体>を、死者の目線から
透視した鮎川信夫の1945年の視座は、今も近代と現代を繋ぐ橋上
人の、ラデイカルな視座として現在に繋がるものと思える。


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by kakiten | 2019-10-23 14:32 | Comments(0)


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