大野一雄展、斎藤周展に触発されて戦後詩人鮎川信夫に
想いがいった。
鮎川信夫にとっての父とは何だったのか、という問いである。
たびたび引用した戦後詩を代表する名作「橋上の人」には
その父を主題とする(Ⅶ)の詩章がある。
父よ、
悲しい父よ、
貴方がいなくなってから、
がらんとした心の部屋で、
空いた椅子がいつまでも帰らぬ人を待っています。
寒さに震えながら、
貴方に叛いたわたしは、
火のない暖炉に向かいあっています。
父よ、
寂しい父よ、
わたしはひとりです。
妻も子もなく、この広い都会の片隅で、
固いパンを齧っています。
わたしは貧しい、
わたしは病んでいる、
貴方がわたしに下さったものはこれだけですか。
1965年出版された荒地出版全詩集では、「父の死」という
21行ほどの短い詩がこの「橋上の人」の後に載せられている。
この詩は実際に父が死んだ時の心の動揺を伝えている詩だ。
では長編詩「橋上の人」の<父>とは、何の謂いなのか。
それは私には鮎川信夫の内なるモダニズム・近代の謂いと思われる。
徴兵され一兵士として日米戦争に参軍し帰国した鮎川自身の深い想い
が、戦前のモダニズム・<父>という比喩になっている気がする。
欧州の独裁国家ドイツ・ヒットラーとイタリア・ムッソリニーと三国
軍事同盟を結び、米英に宣戦布告をし始まった太平洋戦争。
明治以降の西洋化・欧米化・近代化の流れは鬼畜米英のスローガンの下、
鮎川が詩の上で傾倒し実践したモダニズムの灯は、正に踏みにじられたのだ。
大野一雄も鮎川信夫も、その詩のその舞踏の領域に於けるモダニズムの
灯をモダニズムの焦土の近代から身を以て耕し、育て続けたのだと思う。
戦後近代とは米国占領下の自由の理念の下、朝鮮戦争の新たな東西冷戦
により特需景気ー神武景気と経済の発展で明治近代の破綻・戦後近代の
迷妄と再びモダニズムの根幹を埋没しつつあった。
鮎川信夫や大野一雄が戦前戦後を通底し身を以て遺した、真の近代の芽を
私達は私達自身の内なる根として忘れてはならない、と思う。
教えて下さい、
父よ、大いなる父よ、
わたしにはまだ罪が足りないのですか、
わたしの悲惨は貴方の栄光ですか。
私たちの現在という時代には、先んずる痛恨の父という近代が存する。
そこを見詰めずして、真の現代はあり得ない。
*花小屋ー9月末まで。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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