山が開いて内なる源流の一滴が、沢となり渓流となる予感のような
個展だった。
気難しいやんちゃな子という個室が、父という外界を認め開いた今
という近代への架構。
大上段に振り翳した時代論ではない。
父・子の小さなボタンの穴。
そこに深い心の個人的な理由が潜んでいる。
何時だって本当の時代とは、そうして訪れる。
私にもそうした記憶のボタンがある。
父に説教され拳骨を浴びそうになった時、母が発した言葉。
”お父ちゃん、もう時代は変わったのよ!”
母が近所の美容室で赤い髪に染め、活き洋々と家に帰って来た時
父・祖父にひどく怒られ、しょんぼりして元の黒い髪に戻しに行った時。
成人してその話を母にしたら、”変な事おぼえているわね・・”と言われた
記憶。
父が新しい学習机と椅子を手造りで造ってくれた時、傍で偶然見て
いた近所の同級生が、翌朝学校でみんなに学習机を購入しないで、手で造
ってた、とみんなの前で馬鹿にした時、そいつを思わず殴った記憶。
どれもが私の戦後近代が始まった遠い記憶なのだ。
明治30年創業の老舗を守りつつ、新たな風を業界に吹き込み
生業(なりわい)の世界を広げた父の戦後近代。
父の死後市街地再開発のさらなる時代の変化に、家業よりオーナー
として世界を広げようとした母の戦後近代。
<家>=土地・家屋資産が比重を増す時代に、<生業>は、ビルの
片隅に埋もれていった現代。
店主も客もオーナーと呼ばれ、今はその浸透度がさらに増している。
そんな時代に、遠い小さな個人的記憶のボタンの穴は、本当の時代を
見通す回路を想い出させてくれる。
量産された学習机セットを購入するのが普通になった時代。
その時代に私の為に手で木を削り組み立てた父の新しい学習机・椅子。
幼い心にも、私はそこに父の愛情を感じていたのだ。
”時代は変わったのよ・・・”と、父を諫め、時に髪赤くを染めた母。
そのどちらもが、私の遠い父なる、母なる近代だ。
・・・
ポケットのマッチひとつにだって
ちぎれたボタンの穴ひとつにだって
いつも個人的なわけがあるのだ
(鮎川信夫「橋上の人」から)
彼方の岸に灯がついた。
幻の都市に灯がついた。
運河の上にも灯がついた。
おびただしい灯の窓が、高架線の上を走ってゆく。
おびただしい灯の窓が、高く夜空をのぼってゆく。
そのひとつひとつが瞬いて、
あなたの内にも灯がともる。
死と生の予感におののく魂のように、
そのひとつひとつが輝いて、
そのひとつひとつが消えかかる、
橋上の人よ。
(同上最終章から)
この戦後間もなく発表された鮎川信夫の「橋上の人」は、戦後近代が
今に続く光景のように、瞬いている気がする。
周さん、私達もまた親なる近代から現代への「橋上の人」・・・。
*「花小屋」9月7日~30日。不定期・非展示。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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