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テンポラリー通信

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2019年 06月 14日

一雄&エルヴィスー大野一雄の戦後(1)

石炭・水力発電から石油・原子力発電へ。
馬力から自動車へ。
都(ミヤコ)からメガロポリス都市群へ。
近代は様々な変わり目をみせ、現代へと変貌しつつある。
近代と何か、と問う事は即ち現代を生きる己を問う事である。

自由の女神の立像が海上に立つニューヨークの港。
その巨大な女神像の向こうに聳え立つ摩天楼の街。
その風景は正しく新時代の夢近代の幕開けのように存在した。
民族国家を超えた自由と平等のランドの夢。
汽車もなく、飛行機もなく、海を船で渡って辿り着いた人々
が最初に見る新世界の光景だったに違いない。
そして摩天楼がメガロポリス都市群化し、タワービル群として
日常化しつつ現代がある。
鎖国を解いた明治の日本は急速に文明開化の名の下、西洋化・
欧米化の道を歩み、同時に国家としての自立性を強め、特に欧化
という表層的な近代化を建築物や法的制度に多く取り入れながら
も、精神的には国粋化に傾き、政治経済的に排他的な一国中心
のナショナリズムに偏り、<鬼畜米英>という欧米否定・対決の
西洋化全否定の近代の末路に突き進む。
そうした時代の激流の中で、大野一雄は函館という近代の窓口の
ような街で育ち、舞姫アルヘンチーナに憧れ、自らも舞踏の道を
志したのだ。
その想いは太平洋戦争に阻まれ、一兵士としてニューギニアの
最前線で戦いに従事する。
死んだ戦友の肉を食らう人肉事件もあったという過酷な戦場。
その経験を経て辛うじて生き延びた大野一雄が敗戦後帰国の
船上で見た海を漂うクラゲの群れ。
そのクラゲに死んだ戦友たちの魂を見る様に感じ、後年「水母
の踊り」として舞踏化している。
1980年齢70歳を過ぎてフランス・パリで踊り、<今世紀
の最も魅力的な芸術家のひとりが今パりにいる>とル・モンド
紙に絶賛される。
戦後海外での評価は主にフランスを中心にして欧州での評価
が高いように感じる。
かっての直接戦った米国との戦後は、心の底でどうだったの
だろうか・・・。

私には1991年9月石狩河口来札で野外公演した「石狩の
鼻曲がり」以降毎日稽古場で流していたというプレスリー―の
「愛さずにはいられない」がひとつの境目を得ていると感じる。
それまで、米国という国に対する大野一雄の拘りは胸の奥で続
いていた気がする。
その事を確信したのは、昨年出版された吉増剛造「舞踏言語」
出版記念会での大野慶人の指人形の大野一雄との踊りをVTR
で見た時だった。
10歳の時初めて会ったという父子。
その遠い父子関係は、慶人が同じ舞踏の道を歩んでも師弟とし
ても続いたように思える。
その遠い父子の関係が、プレスリーの唄聲を仲立ちにして、指
と手の中、慶人の身体の一部として親子が一体となっていたのだ。
大野一雄は晩年熊の踊りをカムチャッカの漁場の小屋で踊りたい
と語っていた。
父・祖父が漁業を営み漁場として訪れて居たというカムチャッカ。
そこによく現れたという羆の踊りにプレスリーのあの曲を流し
踊ってみたいと熱く語っている。
敵対する熊と人間、敵対する国家と人間。
そうした区分の境界を、プレスリーの「愛さずにはいられない」
の曲と共に大野一雄は命の繋がり・源泉の舞踏で通底しようと
したと思う。
慶人さんの何の隔たりも無くなった指の父への表情。
戦後近代化の米国を代表したエルヴィスプレスリーの歌曲を通し
てその志は確実に子に伝えられている。

 海へと確実にそそぐ川のように
 流れに身をゆだねるべき時もある 
 さあ手をとって、この命を捧げよう
 君を愛さずにはいられない

この何度か繰り返されるTaKe Мy ℍanⅾの歌詞
ここに大野一雄の新たな近代の始まりと古い近代の終焉
が見える気がするのだ。
日米戦争の米国から近代のランド・アメリカへ。
大野一雄の心の中の米国は国と国のある境を超えた。
大野一雄の戦後近代とは、すべての命の源泉から界(さかい)
を通底する回路を構築するたった一人の舞踏の道だったと思う。

*追悼・大野一雄「一雄&エルヴィス」-6月18日ー30日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503





by kakiten | 2019-06-14 13:15 | Comments(0)


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