菅原さんの来た翌日、東京の奥多摩の町八王子から
菊井崇史さんが来た。
彼は足利・沖縄・東京共通の吉増剛造展カタログ約三百頁
を編集したひとりだ。
女坑夫さんの「北上坑」看板現わるの報に、鳥肌立つと感応
した一人である。
二泊三日の予定で、この展示を見る為に来てくれた。
ここには2014年冬の吉増展「水機(ハタ)ヲル日」以来だろうか、
繁茂に会っている人という訳ではない。
ただここ2,3年の国立近代美術館に始まる吉増展の流れで
今や欠かせない存在のひとりだ。
現時点で吉増剛造の一番近くに存在するひとり、と私は感じて
いる。
今回<女坑夫さん>記載の幻の夕張「北上坑」看板出現の報と
展示を躊躇なく電話で伝えたのには、その想いがあったからだ。
彼もまたその思いに躊躇なく応えてくれた。
6日木曜日午後、彼を迎えた北上坑・女坑夫さんの木の看板。
その周りの丈の高い白い花は、すでに小紫の彩に変色しつつ
あった。
それを含めて全体が枯れていく花々に囲まれて、北上坑の木の
看板は、どこか凛として誇らしげであった。
菊井さんは言葉なく、その様子を呑み込んでいる。
そして会場に低く流していた1995年「石狩シーツ」朗読CD
に誘われるように、奥の談話室に誘った。
もうひとつのこの名作詩の原点大野一雄の石狩河口公演「石狩
の鼻曲がり」の映像と今年出版された「舞踏言語」出版記念会
での大野慶人さんの舞踏映像を見せる為だ。
慶人さんの三分間の映像、大野一雄・慶人の石狩河口公演を
見終わって菊井さんは興奮収まらぬ様子で、次々と語り始める。
石狩河口で雌の鮭の死と生への賛歌の後大野慶人さんが白い額縁
を両手で持ち魚卵が膜を破り、初めて外の世界と接する片手と顔
の表情だけのシーン。
もうひとつの亡き父大野一雄を指人形にして、かっての敵国米国
の戦後を代表する歌手プレスリーの曲・聲に合わせて父大野一雄
と何の隔たりもなく語り合うような三分間のシーンとが、その手
の在りように於いて共通する、と言った言葉が私の心に響いた。
大野一雄の「石狩の鼻曲がり」の舞踏が顕した、生と死の亀裂・
溝・境を超える架け橋のような界(さかい)の世界。
(CONー共に)の界(さかい)が慶人さんの指人形三分間の舞い、
河中の生誕したばかりの鮭の卵が透明な膜を破る手の演技に継承
されている。
そういう指摘だった。
1992年慶人・一雄ふたり、石狩河口での生と死を繋ぐ公演。
27年後の2019年慶人ひとり、亡き父一雄を想う指人形を通し
繋ぐ世界。
産まれて十年間日米戦争に拠って隔てられていた父・子、そして
死の分断を、慶人さんの掌が鮭の卵の膜を破る手で繋いでいる。
私はハッとして、何故今まで河中の鮭の生誕のこのシーンに魅かれ
ていたかが解った気がした。
翌日私は通院治療で失礼したが、菊井崇史はМさんの車で石狩河口
へと向かった。
*北上坑・口展ー6月9日まで。am12時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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