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テンポラリー通信

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2019年 06月 07日

炭坑の町からー小さなランド(Ⅻ)

写真家の菅原英二氏が来る。
彼はかって炭鉱で栄えた内陸の町三笠市出身である。
初めてお会いした時自分が内陸の町から出て初めて見た
海が石狩だったと聞いた事がある。
そしてその時の海への道をいつか写真で撮り発表したい
と言っていた。
しかし今回6月展示中の写真展は、今は逆に遠くなっ
た故郷三笠への道を探す事がテーマとなったという。
10代の頃の海への道。
年を経て長年札幌で美術学校の教師をし、今は故郷への
道を探す旅が先になったという。
この仕事を終えもう一度故郷三笠から石狩の海への道を
撮ってみたいと言った。
石炭産業の衰退とともに、故郷は寂れ遠くなっていった。
故郷はもうかっての故郷ではない。
札幌で働き、増々故郷は遠く小さく希薄になってくる。
故郷の確認を今住む街からもう一度、<その場所が保つ
固有の記憶を書き記すように、一枚また一枚シャッター
を切った>という。
そしてそこからもう一度初めての海へと歩を進め、写真
を撮りたいという。
現代とは、さまざまな個の形でこうした心の難民の時代
でもあると私は思う、
札幌で生まれ、札幌で生きている私でも、そう思う。
心の風土・故郷が喪失し続ける時代の風景の内に今生きている。

そう思い奥の談話室で大野慶人さんが父・故大野一雄さんに
代わり出席し独り演じた吉増剛造「舞踏言語」出版記念会
の映像を見せた。
10歳の時初めて見た父の顔。
日米戦争がその10年の心の距離を生んだのだ。
父はその後世界の舞踏家として、青年時代の叶わなかった夢
を追い続ける。
同じ舞踏家の道を選んだ慶人さんは、生涯父さんと呼ぶ事
が遠かったという。
その慶人さんが偉大な父の死後初めて、父を形どった指人形
とともに、かっての敵国米国の戦後ポップスのスター
エルベス・プレスリーの「好きにならずにいられない」に乗
せて踊るのだ。
幼い時父は遠く、長じて舞踏の大先輩として師匠であり、
百余歳での死後は、世界の大野として遠く世界中の人に
慕われ子として内外の訪問者に応待し、慶人さんにとって
父は死後も遠く高い位置の存在だっただろう。
しかし父を象った指人形はもう自分の身体の一部となって、
プレスリーの唄聲とともに父子は一体となって、ふたりの
長い時の距離を解消していた。
この僅か3分間の映像を見た途端、菅原さんの眼から涙が
迸る様に流れ出ていた。
一緒にいた美術家の教え子鈴木果澄さんが仰天して見ている。

1991年の野外公演「石狩の鼻曲がり」以降、大野一雄は
この曲を稽古場でよく使っていたという。
過酷な日米戦争の現場で幾人もの戦友を亡くし、その敵国
の曲・詞を恩讐を超え愛した大野一雄の戦後・プレスリー。
そこに人間の本当の心の故郷を菅原さんは敏感に感じ取って
いたに違いない。
この奇跡の三分間の独演に、慶人さんの遠く長い父と子の距離
が夢のように消えて、純粋なふたりだけの時間となっていたのだ。

 川が海へと確実に注ぐように
 流れに身をゆだねる時もある
 手をとって、さあこの人生を捧げよう

一雄&慶人・・・。
一雄&プレスリー。

国を超え、人種を超え、親子の時の溝・舞踏の相違を超え、
人間の真の心の故郷が慶人さんの掌の内に拓いていた。
その開かれた本質が、菅原さんの遠く小さくなった故郷を思う
気持ちの深処を撃ったのだと思う。
「北上坑」という今は閉じられた坑口の看板から、山と海への
深い個の回路が開いて、生と死の間、父と子の間、日米という
国家の間、そして都会と故郷の間を何かが流れていた。

この小さな展示は、大きな深度を発しつつある。

*「北上坑・口」展ー6月9日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金午後3時閉廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




by kakiten | 2019-06-07 12:39 | Comments(0)


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