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テンポラリー通信

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2019年 05月 21日

北上・坑口来るー小さなランド(Ⅵ)

かって夕張北上坑道口に置かれていた北上抗木彫りの
看板が今日着いた。
元夕張美術館館長上木和正氏が自宅に保管していたもの
を持参してくれたのだ。
1989年市役所在職中当時多発した炭鉱坑内火災から坑道
を守る鎮魂の願いで、国内九つの大河の名を坑道に名付け設置
したもので、上木さん自ら仕事として彫った看板という。
冬の間は雪に埋もれるので保管していたという所為か、看板
自体は今も汚れがなく凛としている。
近年美術館も廃館し坑道の保存も夕張市の衰退と同時に管理
が不足し上木さんは退職と同時にこの看板を自宅に持ち帰り
保存していたのだ。
今回、何故夕張に北上の名がという私の疑問に応えて、その
説明に持参してくれたのだった。

3.11以降の石巻北上河口に立ち、その被災の爪痕今も残る
現実に深く感応した詩人吉増剛造が、1994年石狩河口滞在
に続き今夏北上河口に滞在詩作すると聞いた。
1994年春石狩河口に滞在し、その源流のひとつ夕張川を遡上
し生まれた名作詩「石狩シーツ」
そのコアとなったのが、この看板に記載された<女坑夫>鎮魂の
文字である。
日本の近代化と共に発達した炭鉱事業、それ故源流域に生まれ
た炭鉱都市夕張。
その底流に深く関わっていた<女坑夫さん>
そして吉増さんの故郷に近い絹の道、日本近代初期を支えた
シルク生産の担い手織姫の存在。
石炭と女坑夫、絹と織姫。
明治日本近代化のある意味原点ともなるふたつの事業、その
背後の女性の存在が、東北の東日本大震災3・11の被災地
で河口と坑口の入口で交叉し立ち顕れている。
火の災害を鎮める為名付けられた水を象徴する北上坑の命名。
そして地震・津波による地と水の災害を象徴する北上河口。
自然の地と火と水と、人間の創って来た近代が坑口と河口、
ふたつの口で、自然と人間の尺度を問い、深く深く我々の今
を問うている。

そんな感慨を秘めて上木さんの来た日、美瑛の丘でバージン
ロードを飾った村上仁美さんの花々が役目を終え一時的に
テンポラリーの床を埋めている。
道外から来た美瑛の自然に憧れた花嫁花婿。
その野外のバージンロードを飾った丈の高い白い花、卓上を
飾った丈の低い花・・。
まるでギャラリーの床はお花畑のようだ。
そこに上木さんの持参した女坑夫さんの記載ある北上坑の
看板を沈めた。
一瞬にしてその場は、鎮魂の庭となる。
河口・坑口ー水と火、大地と大海の入口。
土と水で生まれる花、
そして女坑夫・織姫・花嫁。
北上坑の木彫りの看板は、ギャラリーで不思議な花の光景を
一瞬浮かび上がらせていた。

*大野一雄追悼「大野一雄のプレスリー」-5月28日ー6月9日
 am12時ーpm7時:水・金午後3時閉廊。月曜定休日。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




 


by kakiten | 2019-05-21 16:29 | Comments(0)


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