十連休とかの最終週の土曜、日曜日。
雲一つなく夏日。
さすがに、コートとマフラーは外脱ぎテンポラリーへ。
八木保次・伸子展も今日で終わり。
ご遺族高橋均氏ご提供の2点の大きなふたりの作品が、私
所蔵の2点の油彩と呼応して、サッポロの冬から春を見事
に色彩で顕現した展示となった。
ふたりの絵を愛おしむ様に、午前の光、午後の光が撫でて
移っていく。
戦後モダニズムの渦中に身を投じ、俎板ラデイカリズム、
台所モダニズムを生き抜き、保次をも支え続けた伸子。
radical =根源的な、根本的な;近代の俎板がそこには在る。
80歳を過ぎてもその精神は不変だったと思う。
私達は教室(各カルチャー教室)も皆やめ・・・私は
腰が悪い上、胃潰瘍ががんこで直らず、歩くのも大変に
なりました。でも絵を描かなくては生きていけません。
80歳をすぎても、働いている女の人はそんなに居ないと
思うけどがんばります。・・・
(平成19年6月20日付速達)
それから約5年後の平成24年2月、3月ふたりは相次いで
この世を去った。
先に伸子さんが亡くなり、その訃報を同じ病院入院中の保次
さんが聞いて、号泣し叫んだという。
かって札幌芸術の森美術館での大規模な二人展を前に、その
広報誌インタビューに載ったふたりの言葉。
絵には品位が必要だ。伸子の絵には、かなわないほど
それがある。
私は保次の絵に惚れています。でもまだ参ってはいない
生涯競い合い協力し生きて来たふたり。
保次&伸子の近代・俎板ラデイカリズムは、生活上でも一貫
し、生き抜いたと私は思う。
戦後近代が敗戦し得た個人民主主義の理念。
その理念を観念上のものではなく、根源的人間の共同体と
して、ふたりは絵画を通して認め合い、競い合って男女平等
の真実を生きたと私は思う。
社会主義圏の国から米国へ亡命し、インスタレーションの
作品行為で世界に名を馳せたクリスト&ジャンヌ。
黒人でモダーンジャズのピアノ演奏者ジョンルイスの晩年
モダーンジャズ時代から傾倒していたバッハの曲を、ジョン
&ミリヤナ名で遺した夫婦二人演奏のゴールドベルク変奏曲。
日本の明治から始まった国家主体の近代化。
そして大正を経て昭和の敗戦・破綻。
昭和戦後の個人主体の民主主義に始まる第二の近代化。
そのモダニズムのラデイカルな挑戦・小さな定着をふたりの
生き様に、私は人間の根本的なランド(郷土)として懐かしく
、恋しく思い出す。
・・・風になってきっと助けてくれますよ。
ガンバレ 伸子
(平成19年6月20日付弔文末尾)
風は、ふたりのサッポロの光彩となって、作品に今も息づいている。
*八木保次・伸子展ー5月5日まで。
am12時ーpm7時。
*花人・村上仁美展「母の日を活ける」ー5月7日~12日。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503