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テンポラリー通信

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2019年 05月 02日

保次&伸子・戦後近代ー時代というランド(45)

資料として並べてある八木保次・伸子展図録年表を
何気なく見ていて、ふたりが大正末期の大正11年
(1922年)と大正14年(1925年)の生ま
れという記載に目が留まった。
そうか、昭和の前期国家主義、戦争の時代が10代から
20代へのふたりの社会状況だったのだ。
やっと自由に絵が描ける、と戦後伸子さんが感じた言葉
は、その事実だったのだ。
明治に始まり大正時代に花開く日本のモダニズム。
長い昭和の時代、前期は昭和20年の敗戦で明治・大正
からのモダニズムの幕を閉じる。
そして昭和後期は米軍占領の下、デモクラシー指導の
新たな近代化が始まったのだ。
明治の開国によって開化された明治・大正・昭和初期まで
続いた日本の近代化。
その流れは欧米との政治・経済上の軋轢により<鬼畜米英>
のスローガンの下戦争に至り、破綻する。
保次・伸子が生きたふたりの20代以降の世界は、この昭和
後期の戦後近代の真っ只中だったと言える。
ふたりが生まれた札幌という近代と共に誕生した都市、そして
明治以来の近代化の首都東京での25年。
その後故郷札幌宮の森の自然の中での晩年。
こう辿ってくると、戦後近代化の渦中の時代、故郷札幌の独特
の風土・自然と向き合った時と、ふたりの生きた環境・時代の
変化が見えてくる気がする。

私はアメリカによって開かれた昭和の文明開化・戦後モダニズム
と明治の文明開化・欧米モダニズムとは一応別けて考えている。
米国という世界でも例を見ない特殊な合衆国。
そこで民族を超え発達した文化・文明。
ナショナルなものを核としない、多民族国家=ランドを軸芯とする
グローバルモダニズムの米国が占領し遂行した近代化なのだ。
保次・伸子が東京を去り、故郷で見詰めたものは、北の地の自然と
風土の光・翳だったと思う。
その風土の保つ色彩を、ふたりは習得した近代手法油絵具で画布
に刻んだ。
抽象・具象とふたりの絵は分類もされたが、根本に在ったのは、
東京時代に伸子が見せた”俎板アート”-台所モダニズムともいうべき
モダニズムのラデイカルな生活化、日常への精進だったと思える。

故郷札幌で、ふたりは生活者・表現者として、保次&伸子として
戦後モダニズム・戦後近代を実践し生きたと私は思う。
民主主義・男女平等の理念を、絵画の道を共に歩みながら・・。

*八木保次・伸子展ー5月5日まで。:金曜日所用で午後3時休廊
 am12時ーpm7時
*花人・村上仁美ー母の日を活ける展ー5月7日~ 
 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503









by kakiten | 2019-05-02 18:06 | Comments(0)


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