及川恒平さんから葉書が届く。7月在札中ゆっくりと会う機会のなかったこと、秋ま
た札幌にくること、その時は是非会おうというような内容だった。5月の仮オープン
の時以来ここには来てくれていないのが気にはなっていたからこの便りは嬉しか
った。1月末の前の店強制退去の時は引越しの手伝いにニ、三回来てくれホーム
ージに深い哀惜の写真も載せてくれている。だからすぐに新しい現在の場所にす
っと馴染むものでない事は想像できるのだった。昨年3月初対面で田中綾さんの
企画でコンサートを催して以来述べ80日(本人談)以上のさっぽろ行は及川さん
にとって本当に濃いさっぽろだったと思う。今’80年代の<精神のラインダンス>
を菱川善夫と佐佐木方斎の軌跡にみながら及川恒平の’80年代がそれと正反対
の沈黙の’80年代であった事に気づく。唄への復帰第一作「緑の蝉」は1993年
9月の発売でその前十年は歌手活動を断念した十年である。そこにもうひとつの
’80年代があるのだ。<一人の男が工事現場の塀を背にぼうぜんとして腕を垂れ
たまま地面を見つづけていたが、われわれが近づいてふっと顔をあげた時の、その
凄まじい苦悩の表情をわすれることはできない。><1980年代という時代を思い
浮かべる時どこからともなくその顔があらわれてくる・・・>(菱川善夫「自伝的スケ
ッチ」)この顔は<高度経済成長の暗面を突きつけるのに十分だった>と菱川善夫
は銀座の工事現場で出会った男の顔の経験を書いている。及川さんがテニスのイ
ンストラクターという肉体労仂に従事した事と工事現場の労働者が同一とは思わな
いが己の肉体だけが基本という点で相似性はある。精神の世界のラインダンスか
ら孤立し己の身体だけの孤立する’80年代もまた確かに存在したのだ。唄は詩を
追いやりサウンドが主体になり、電力の主役に原子力発電が登場し、ゴミの焼却
炉が路地から消え山奥と海辺に隔離され、川が暗渠化し周囲から消えていく時代
でもあるのだ。及川恒平の沈黙の時代はそうしたもうひとつの’80年代を示唆し
そこからの回復の途上としての’90年代と現在は共に深く関わっている気がする。
開きそして閉じた’80年代のダイナミズムはその深部に於いて現在再び深く開き
深く閉じようとしているのかも知れない。