八木伸子さんの東京時代の絵画に台所シリーズといえる作品
群がある。
使い慣れたフライパン、魚あみ、それに白いサラ、卵など
毎日の食事の用意のとき、ふとこれらの物たちがつくりだす
不思議な美しさにおどろくことがあります。
それぞれのものが話しあったり、そっぽを向いたり、手を
つないだりーそれは人間世界のふくざつなリズムとも似て
いるかも知れません。
(週刊朝日1956年9月9日号表紙の言葉)
札幌で結婚し東京に生活の地を移した保次・伸子。
そこはかって幾つものアトリエ群が点在した「池袋モンパ
ルナス」と呼ばれた一角だった。
東京にアトリエを構えた保次は、若い芸術家には貴重な存在
で、多くの若い友人たちが集まってきたという。
新婚当初からの居候もいたという。
そうした若い芸術家の為に、伸子は毎日彼らの食事の支度に
追われ、彼らが夜中にトランプや芸術論に熱中している間が、
唯一集中して製作できる時であったという。
そしてこの時期生まれたのが「台所シリーズ」である。
東京という近代都市で新たな地平を求めて、アンデパンダンや
アンフォルメル旋風の吹き荒れるモダニズムの渦中、医院の
お嬢様育ちの伸子は、慣れぬ飯炊き女をして頑張っている。
そしてその台所シリーズの中から生まれた<台所のお友達>が
週刊朝日の表紙絵として抜擢されたのだ。
この伸子さんの頑張りは、死ぬまで続いたと確信する。
最晩年80余歳に頂いたお手紙の文面にそれが顕れている。
・・・私は腰が悪い上、胃潰瘍ががんこで治らず、歩くのも大変
になりました。でも絵を描かなくては生きていけません。
80歳過ぎても働いている女の人はそんなに居ないと思うけど
がんばります。・・・・。
この手紙は私が女房を亡くした時送られてきた手紙の一部である。
奥さまが風になってきっと助けてくれますよ。
ガンバレ 伸子
と、手紙は終わっていた。
モダニズムの風吹き荒れるトーキョーで、しっかりと台所の片隅
俎板の上でそれを受け止め、当時無名の画家の絵が週刊朝日の
表紙になってデビューする。
そうした俎板の近代の歩みを、札幌生まれの伸子さんに眩しい
程の敬意と感謝を込めて、感じている自分がいる。
そして1977年母上八木敏さん死去を機に札幌へ戻る。
トーキョーモダニズムからサッポロという風土に生まれる光彩
の追及へ。
ふたりのキャンパスという俎板は、新たな地平を迎えていた。
*八木保次・伸子展ー4月16日ー5月5日まで。
月曜定休:am12時ーpm7時。水・金曜日午後3時閉廊。
テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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