映像作家の伊藤隆介さんが来る。以前東京の映像作家石田尚志さんが個展
した時会って以来である。彼の親友の穂積利明さんが先日道新の美術季評に
「四月には札幌宮の森美術館の開館、六月は札幌・テンポラリースペースの
再オープンなど、新しいアートスペースのうれしいニユースを聞くことができた
。」と記してくれ恐縮していたが、伊藤さんもその事もあって訪ねてきてくれたの
だ。ブログはずっと読んでいたけれど途中から辛くなって読めなくなったんです
よと話した。私が場所を探し<ふかぶかとさっぽろ漂流>と題して書いていた
今年2月、3月の頃の事だと言う。優しいんだなあと思った。そういうイメージで
伊藤さんを見ていなかった性でもある。彼の生徒の春日さんたちはその後も
ここに来てどんどん石田尚志さんや他の作家から吸収しているが先生の伊藤
隆介さんはあまり来ないなあと思っていた。でもそんな思惑は今回会って吹っ
飛んだ気がした。特に印象深いのは’80年代は学生でその頃は作家を目指す
よりも作家たちの集団の動き色々な企画や佐佐木方斎さんの「美術ノート」等
の動きに憧れキユーレーターを志した友人がいたという話だった。ちようど展示
してある美術ノートや北海道現代作家展のカタログを前にして伊藤さんの口か
ら熱い’80年代の空気が甦るようだった。菱川善夫が小樽文学館会報に連載
した自伝的スケッチで’80年代を回顧してさまざまな分野との交流そして変化
をその人的交流を含めて<精神的ラインダンス>と表現し1980年代は<至福
の十年間であった>と記している。その’80年代を追うように若い世代の伊藤さ
んや穂積さん達がその後の’90年代に続くのだがその<ラインダンス>はその
後どうなっていくのか。それを社会的にも見詰めた世代はその後どう続いていっ
たのか。それらの本当の総括は今問われているように思える。経済が主となる<
失われた10年>という位相と文化の位相は別なんですと伊藤さんは言った。私
もそう思う。その見失われたかに見える軸心こそ問われ見失ってはいけないもの
だ。文学のサイド美術のサイドとそれぞれの分野においてオーバーフエンスして
いった<精神のラインダンス>の波動が時間を経て今またこうして姿を現してくる
。伊藤さんの訪問は私にとって精神のラインダンスがバブルとは無関係に確実に
存した時代の波動だった事の証左のように思えるである。佐佐木方斎さんの個展
はまたひとつの潜在する渦を明らかにし新たな渦を創っていくに違いない。