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2019年 01月 30日

父の記憶ー時代というランド(14)

最近ふっと父の事を想い出す。
生前親孝行だった記憶はない。
しかし今は、ふたつ心に深く光るように懐かしくなる記憶が残っている。
ひとつは私が小学校に入学した時の思い出。
父が私の勉強机と椅子を木を組み汗を流して造ってくれた。
”ボウ、どうだ、出来たぞ”、そんな会話があったような記憶がある。
嬉しそうな父の笑顔が重なる。
その場に近所の同じ年のIがいた。
翌日朝礼でみんなが並んでいる校庭で、Iがみんなに昨日の父の
椅子・机手造り制作を大きな声で馬鹿にするように語っていた。
私は怒りを覚え彼の顔に一発パンチを加えた。
Iは郵便局長の息子で、学習机も椅子も店で購入し用意されていたのだろう。
その差異を馬鹿にしてクラスのみんなに伝えてみたかったのだろう。
しかし私には幼いなりに父の子を思う手造りの気持ちが素直に響いていた。

もうひとつは父の葬儀。
北海道いけばな連盟第一回連盟葬だった事。
店の奥の談話室にいつも誰か彼かがたむろし、お酒を飲んでいた。
男女を問わないこの人たちが、客でもあり父の葬儀を出してくれた当事者だ。
華道の流派を超えた集まり、その夢が連盟となって現実化した。
夜な夜なの酒席と見えた集まりはそうした同志たちの、活け花を個々の表現
領域として自立させる熱い想いの集まりでもあったのだ。
ひとつの専門店がサロンとなり、新たな時代の拠点となって、客と店という
関係を超えた関係が築かれていた。
東京の大学4年だった私はその事実に気付き初めて父の生き方に感動した。
父のそうした生き方に気付かず、物心ついてから離れた存在だった父を心の
深い処で感じていたからである。
私は大学を4年で中退し故郷へ戻った。

父と祖父が生涯を駆けた場所は、時代と共に大きな社会構造的変化の中にあった。
家業の家・土地は資産となり、大きなビルとなって市街地再開発の道路拡幅の的
となっていった。
生業(なりわい)は、ビル上部の一隅でテナントのようになり、住む場所でも
一軒の独立した店舗でもなくなった。
そしてその頃から店主ではなく、オーナーと呼ばれる事が多くなった。
明治に祖父が土台を築き、父が美術志望を断念し夢を架けた表現としての華道への
夢もテナント主体のビル街には息づく処は無い。

最近パソコンを開くと冒頭に現れる文字にその当時の事を思い出す。
<オーナー ようこそ>
家業が土地家屋資産のビル街となりオーナー化し、生業が分離してテナント化する。
一個の店という文化構造は衰退し痩せ細り、人という主(あるじ)はテナントを客と
する不動産の権利者と化する。
お金は動くが、心は痩せる街となる。
スーパーでも”オーナーズカードはお持ちですか”と、客もオーナーと呼ばれるのだ。

かって金銭交流する世界にも、人間が主役で志(こころざし)の交流が在った。
千秋庵というお菓子屋さんにも、富貴堂という文房具屋さんにも固有の客の
サロンのような店の根があった。
そして、それらの集合体が街だった。
今はオーナーとテナントのタワービル・プラザの集合体である。

遠い父の思い出がそんな事をリアルに感じさせてくれる。

*高臣大介ガラス展「重ねあう」-2月12日ー24日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503




by kakiten | 2019-01-30 14:19 | Comments(0)


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