五年ぶりのテンポラリースペース個展。
父上の稼業を継ぐと決意して、故郷網走へ。
その時の初々しい朝の番屋風景、朝日浴びる出漁の絵は今も鮮明に思い出す。
今回は働く仲間や船上の風景ではなく、仕事を取り巻く海を見詰めている
絵が印象的である。
波の無心な動きと光の交叉が丹念に描かれているからだ。
同時に札幌時代のラップ仲間、22歳で夭折した友人村岸宏昭の自転車姿等の
佐々木の青春時代、都会で交流した都市感覚の絵も同時に出品されている。
海を職場とする漁師の自然環境、青春時代を送った都会の時代環境。
このふたつの大きな人間を取り巻く状況が、ここには素直に表現されていて、
普段我々都会人が忘れがちな自然という、社会環境を超えた目線が同時に
共存して絵画化されている。
都市化が進めば進む程日常から離れていく自然。
佐々木恒雄には、職業としてそれは日常に分かち難く存在している。
海の波を丹念に描いた青や赤の作品には、彼の日常の呼気吸気が息づいている。
私はこれらの絵を見ながら、ふっと沖縄に生きる豊平ヨシオの画業を思い出す。
沖縄の社会的環境も自然環境もより凝縮されて、あの青と亀裂の絵画があった。
基地と観光という社会的与件と自然。
サンゴ礁に囲まれさらに遠く広がる青と藍色の海。
そして日本全体の7割を占める米軍基地。
社会環境の基地と美しく時として荒々しい海という自然が間近に併存している
南の島。
北の海と南の海を取り巻く社会と自然。
そのふたつの海を、何時の間にか問う自分がいたのだ。
そして日常生活を社会的インフラに囲い込まれ、異常気象の天災時にしか自然
を意識化しないで日常を過ごしている多くの我々。
オホーツクの荒々しい海に生きる佐々木恒雄と沖縄の厳しい社会環境に生きる
豊平ヨシオの保つふたりの海に、私たちが日々喪いつつある自然と時代・社会
に囲繞された人間の海の在り場所を問い、ふたりの画業を見続けていきたいと思う。
*佐々木恒雄展「sign」-1月20日まで。
AM11時ーPM7時
*‘高臣大介ガラス展ー2月12日ー24日
*豊平ヨシオ展ー3月17日
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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