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2018年 11月 03日

秋の深味ーみちゆき(11)

「月光」56号賀村順治追悼集を読みながら、ふっと
両肩の辺りに晩秋の所為だけでない、忍び寄るような
寒気を感じていた。
2006年1月円山北町から数回の法廷闘争を経て、
砦となる場と建物を喪い、ひとり古地図を抱え札幌を
放浪した数カ月。
110年続いた家業と私自身の中で残すべき数多の資
料の数々。
その多大な荷物を、新琴似の自宅倉庫に黙って受けめて
くれたのが、賀村順治だった。
強制執行の当日朝、前夜から泊まって立ち会ってくれた
中川潤、高臣大介両君の熱い友情も忘れ得ぬが、現在ま
で残る多くの掛け替えのない資料には賀村順治の黙した
熱い協力が無ければ、私は只の放浪者・難民だったので
はないのだろうか。
そして約半年後、預けた荷物を引き取り、お礼に伺った
春の一日。
新琴似駅まで迎えに来てくれた賀村に、初めて新琴似の
風景の中を自宅まで案内してもらった。

 豊かに稔れる石狩の野に
 雁(かりがね)遥々沈みてゆけば
 羊群声なく牧舎に帰り
 手稲の嶺(いただき)黄昏こめぬ
 雄々しく聳ゆる楡(エルム)の梢
 打ち振る野分に破壊(はえ)の葉音の
 さやめく甍(いらか)に久遠の光
 おごそかに 北極星を仰ぐかな
 
        北海道大学寮歌「都ぞ弥生」第二番

歌の季節秋とは違う4月だったが、手稲の嶺(いただき)、
雄々しく聳ゆる楡(エルム)の梢、の風景は変わらない。
賀村は歩きながら、とある神社を指さし境内の一本の巨樹
がエルム(ハルニレ)だと教えてくれた。
この巨樹は市の保存樹に指定されていて、この地域の農民
たちが新琴似神社を建立し大事にした結果という。
近寄ると巨木の周りにも幾本ものエルムが立っていた。
水に近い地層に生え、後にエルムの都と呼ばれた札幌を象徴
する樹。
その樹に適した地層が広がっていた石狩大湿原。
そして遠く、近く遮るものない天地に聳える手稲山連峰。
今思えば、あの時賀村順治は自分の生まれたこの天地をこよ
なく愛し、父祖の地九州佐賀を希み、語り掛けていた気がする。
彼もまた、近代の遠い移民・難民。
私たちは自らの手で、故郷・故里の故(ゆえ)を、天地に郷と
して、里として掴(つか)んでいかねばらぬ今を生きている。

開道百年開拓記念塔が、50年を経て老朽化が進み撤去され
るという。
都市の近代化が進み、人間社会のインフラ機能が拡大化して、
自然に近い風土・故郷・故里は磨り減りつつある。
<移る>横軸ばかりが増幅され、根の踵(かかと)軸が
等閑に晒されている。
都市はタワー化・プラザ化の囲い込み構造が進み、地上の通り
は車両に占拠され、縦軸はタワービルと地下街・地下鉄の吸い
上げ・拡散移動構造に溢れている。
天地を繋ぐ風土という故里は磨滅しつつある。
賀村順治の未知の父祖の天地・佐賀への想い。
都市化が著しい札幌の天地。
彼は何処かで心の難民・移住者の悲哀を感じて闘っていたのだ。
それは私たち多くが共有する現代でもある。

折しも札幌中央に奇跡的に遺された緑の運河・エルムゾーン
にひとつの新しい五寸釘のようなレンタルマンション・タワ
ービルが建立されている。
原生のエルムの巨樹が茂る植物園ーエルムを含めまだ多くの
原生樹木が残る広大な北大構内。
ビル街に遺る緑の運河ゾーン。
野幌森林公園に50年前建立された百年開拓記念塔に代わり、
新たな百年タワー(塔)が立つ。
それは今、<打振る野分に破壊(はえ)の葉音>のようにある。
<雄々しく聳ゆる楡(エルム)の梢>も、<黄昏こめぬ><手
稲の嶺>も消去するように。

賀村順治よ、
君と石狩大湿原の天地を、もう一度語り、逢いたかった・・よ。
もう一度引用させてくれ、俺たちの背中の歌を・・。

 戦場へ
  行く早鐘のランナーの
 背中に涙あふれていたり

*HOPIカチーナ展ー11月9日(金)-11日(日)
 am11時ーpm6時:10日午後2時半~11日(日)午前11時~
 HOPI出版記念トーク。天川彩氏。参加費1500円
*藤倉翼写真展ー11月20日ー12月2日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
  

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by kakiten | 2018-11-03 15:26 | Comments(0)


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