東京の友人川戸・菊井両君が奥多摩まいまいず井戸のある
神社の絵馬を送ってくれた。
北海道地震の影響を心配しての事である。
丁度競走馬を運ぶ大型トラックと接触事故にあったMさん
の話から、馬力について思いを巡らしていた後だったので、
絵馬が送られてきた偶然が面白かった。
馬頭観音・絵馬、神の使者・天馬。
その信仰の原点は人間に勝る馬のエネルギーだろう。
この馬力への影響力の差異は、多分近代と現代の分岐点の
ひとつのようにも思える。
戦後印象的に馬力を歌って思い出させる「鉄腕アトム」の歌。
空をこえて ラララ 星のかなた
ゆくぞアトム ジェットの限り
心やさしい ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕トム
<十万馬力>と賛美されている。
薄れていた記憶の中で、私は何時の間にか<百万馬力>と
唄っていた。
そこにふっと谷川俊太郎作詞の時代の馬力への認識度が
近・現代との分岐点のように感じた。
馬力への信頼・畏敬の度合いが、<十万馬力>という設定
に深く感じられるからだ。
川戸・菊井両君のお礼にそんな感想を書いて送ったら、川戸
君から戦前の「カチューシャの唄」にある<ララ>の指摘
があった。
鉄腕アトムの<ラララ>とカチューシャの<ララ>。
カチューシャ かわいや 別れの辛さ
せめて淡雪とけぬ間に
神に願いを ララ かけましょうか
(島村抱月 相馬御風 作詞)
このふたつの<ラララ>と<ララ>には、女人と科学の子の
対象の相違があり、未来への希望と友情の<ラララ>と、女人
との別れと祈りの<ララ>の違いもある。
明治以降の近代化には、ある種哀しみを保って見る視座が保た
れているが、敗戦間もない復興の時代には、科学と未来への
信頼を保った希望の<ラララ>がある。
西洋化=近代化として突き進んだ明治・大正・昭和前期。
そして究極の近代破綻の敗戦後、アメリカ民主主義を占領下に
受け入れ、突き進んできた戦後近代の現在。
ジェットエネルギーを冷静に十万馬力と科学の子アトムに
与えた時代の認識力には、新しい科学への信頼・期待と馬力
への冷静な見極めが籠っている。
戦前のカチューシャには、どこか近代化への別離の哀しみが
秘められている。
この差異は庶民的には、表裏一体の感傷のような気がする。
多分私たちは今も、<ララ>と<ラララ>の間を、ゆらゆら
と揺れ動く現在を生きている存在だ。
*村上仁美×吉増剛造展「ハナビト ト 火ノ刺繍」-10月2日ー7日
*田村佳津子展「ふわふわとひらひらと」-10月23日ー28日
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
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