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2018年 09月 05日

人間尺度の忘却・磨滅ーシジフォス(30)

Mさんが運転中事故にあったという。
愛車で走行中、横から来た競争馬運搬車のトラックに
後部ドアーに接触され、左半身が痺れるという。
相手は、初めから脅し口調で高飛車で自分の非を
認めない。
結局警察に連絡し、保険会社に任せたという。
Mさんの話では普通に運転していて急に後ろ横に
ドスンときた。
どうやら前にいた車が急にウインカーを点滅して右に
曲がり、それを避け前に出ようと横に振り走行中の
Mさんの車を見落とした事が、衝突の原因のようだ。

私は20代で運転を止めている。
切っ掛けは、車の速度への違和感が勝ったからだ。
それは運転しない今も変わらない。
運転上手な多くの人は、違和感よりも快感の方が
勝っているのだろう。
しかしこのスピードに慣れると、あたかも自身の速度
と身体の方が認識してくるように思う。
操作した機械エネルギー速度が、自らの身体の力と
錯覚するのは実は恐ろしい事と思う。
舗道を飛び出し、車道を歩けば解る事だ。
当然だが速度が身体と車では違うのである。
その身体が車を操作すると、あたかも自らの身体が
速度を増しているかのように疾走る。
この身体力を超える機械エネルギーが、人に人それ
ぞれの身体尺度を錯覚させ磨滅させている現実がある。

競走馬を運搬するプロの運転者、自らの非を認めない
傲慢さが見えるのは、車の大きさと運転のプロという
車主体の奢りが垣間見えるからだ。
しかしこの傾向は現代社会全般に見る多くの傾向でも
ある。
多発する暴風雨・台風・猛暑の自然現象にも、人の機械
エネルギーを使用した対自然との関係から生じた摩擦も
多い気がするからだ。
身体尺度を基本としていた時代。
馬を祀り馬頭観音とした。
馬力でお世話になった人間の感謝の気持ちである。
そこには生き物同士の深い畏敬と愛の回路が在る。
しかし何時の頃からか道具は人の手の延長の恵みでは
なくなり、それ自体が独自のエネルギーを保った機械
となり、機械能力傾倒・最新・最速の消耗品となって、
同時に人は人間尺度を忘却し、機械能力の操作に身体性
を移動しつつある。
それに併せるように、外に在る自然環境も内に在る
身体自然環境も、車道と舗道の区別、損傷の大きさの
怖れとして顕れる。
風や水の猛烈な凶暴さ。
それは人間が身体尺度のエネルギーを超えて、機械
エネルギーの増幅で得た富や力と反比例する、剥き出
しとなった野生の力なのかも知れない。

人が新しい効率の良い機械に取り換えるように、次々と
身体尺度を磨滅し機械に乗り換えて身体力を消滅しつつある。
今から馬力に感謝する時代に戻れる訳もない。
新しいエネルギー、新しい機械。
原子力にその発電力は、正にその未来への象徴だろうか。
高速の車が凶器となるように、高速発電の原子力エネルギー
は人間尺度の磨滅を増幅し、安心・安全の裏側、恐怖・危険
の両刃の剣となって向き合う時代だ。

競争馬を運ぶ大きな車と接触事故を経験したMさんの話。
かって観音ともなり、馬力を尊称された馬。
それを運ぶ大きなエネルギーを保つ大型車。
そのエネルギーの大きさを背に、女性と見てパワハラ紛いの
傲慢さで、捲くし立てたと言う運転者。
人もまた野生を露わに、機械エネルギーを背に心の暴力・戦争
を発し出している。

*宮腰麻子展「Je sais mon」-9月9日(日)まで。
 am11時ーpm6時
*村上仁美・吉増剛造「花人ト火ノ刺繍」展ー10月2日ー7日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


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by kakiten | 2018-09-05 13:36 | Comments(0)


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