人間身体尺度が転位しつつある時代と思う。
その転位の転回点は、可視可能な窓の不在と重なるように思う。
少年の頃を思い出すが良い。
路面電車や汽車に乗り、窓外の風景に魅了されていた日々を。
電車の窓には、見知らぬ街角のお店や歩く人、伸びる道の向こう
がパノラマのように後方へ流れていった。
より速度の速い汽車や電車の窓外には、森、稲田、畑、そして
遠く高い山の峰々がゆっくりと流れていた。
目の前の踏み切りには、車や自転車、人があっという間に後方
へ飛んでいく。
ガッタン、ガッタンと線路の継ぎ目の振動が心地よいリズムで
五体五感に響き、何時の間にか眠りに落ちる事もあった。
この旅の心地よい身体尺の宇宙が、身体尺を離れて速度だけの
目にも留まらぬ高速性主体の乗り物となった時、人は高速性・
効率性と引き換えに何かを喪ってきている。
出発ー目的地という旅は、その間(あいだ)の時間も包含して
豊かだった。
間は省略・喪失し、移動という物流のマイナス待機軸へ埋没する。
新幹線・リニアモーターカーは、その全行程のほとんどがトン
ネルの中という。
地下鉄の地上化と同じ構造だ。
目でも追いつかぬ高速機械速度に身を委ね、人間の五体五感は
どんどん身体から遊離し、物流の物資のように梱包され整理さ
れた存在になる。
今、あの車窓の窓は、電気機器の受信装置の小さな窓。
道具としての機械と人間尺度の幸せな時代は、あの電車・汽車
の窓外の風景のように遠く後方へ飛び去って行く。
*斎藤周展「継ぎ」-8月15日(水)-26日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503