テンポラリー通信

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2018年 07月 21日

南の青・北の赤ーシジフォス(12)

沖縄の美術家豊平ヨシオさんが秋に来ると言う。
現在のテンポラリースペースは初めての訪問だ。

1992年11月末から12月末まで最初の個展を
旧テンポラリースペースで展示した。
その時は廃材絵画と呼び、素材は古い板角材、テント地
、そして流木。
流木以外は沖縄駐留米軍の倉庫の床板に使っていた
廃材だ。
米軍の駐留地の床材やテントなどの廃材にはニスや
コールタールが塗られている。
その無数の痕跡が生々しい。
本来沖縄には無かった素材。
そこに沖縄の敗戦後も長く続く占領地社会の深い傷
口が、垣間見えた。
その十余年後電話が入った。
私の心を撃ったのは、次のような彼の一言だった。

 沖縄は基地と観光だけです。
 たくさん作品はあります。ただ眺めています・・。
 見に来て下さい。

札幌は厳寒の2月。
野上裕之さんの鉛を素材にした現場制作オブジェ展が
開催中だった。
初めての沖縄へ二泊三日の強行日程で羽田を経由し
一日がかりで沖縄・那覇空港へ。
この時初めて日本列島の長さを思った。
晴れた青空、梅の花にウグイスが鳴いている。
札幌の鉛色の空・零下の水道管凍結の昨日を思った。
そして訪ねた丘の上のアトリエ。
さらに10年後今年5月再度訪ねたアトリエ。
何も変わらず作品たちが佇んでいた。
米軍基地から排出された廃材・テント・ニス・コール
タールの塗装剤。
それらを使い現代の御嶽のように制作された廃材絵画。
その社会的視座の作品は消えていた。
もっと自然そのものに添った悲しみ・怒りが、シンプルに
青い色彩と亀裂だけで表現されていた。
沖縄の空と海の青、その叫びのような中央の亀裂。
ただそれだけの2m×1m程の縦長の作品群。
それらが百余点壁を覆っている。
その前でただ沈黙・無言・・・だった私は翌日帰札し
、それから10年。
豊平さんが1992年当時制作していた基地沖縄への
強い眼差しが何時から現在の作品に変化したのかは
知らない。
たた2009年時点ではすでに100点前後の作品が
創られていたから、少なくとも10年前2000年前後
から制作し続けていた気がする。
2018年の現在から思えば、20年近く祈りのように
沖縄の深い亀裂・悲しみを、塗り・彫りこんでいるのだ。

来年2月厳寒の白い大地札幌で、この作品を抱き締めたい。
その前に下見に来られる作家を、壁の紅葉した蔦が北の赤で
、南の青を迎えるのだ。

*斎藤周展「継へ」-8月15日(水)-26日(日)

 テンポラリースペース 札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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by kakiten | 2018-07-21 13:04 | Comments(0)


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