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2018年 05月 31日

身の時代ーサッポロ・ランド(12)

年一回の造影CT検査を受ける。
移動する丸い円筒の中に入れられ、コンピューターと
放射線を使って体の断層画像を撮影する検査だ。
造影剤を注射され始まる。
年一回いつも思うのは、レンジの中でサンマになって
焼かれているようなレンジ内感覚だ。
造影剤は油かな・・。
人間も最後は、身の問題である。
身の丈、身の内、身に沁みる・・・。
身の程知らずの自分は、やっと最近身を認識している。

昨年6月同時期に見たふたつの個展を思い出す。
斉藤周個展「片鱗」と蔦井美枝子個展「纏う」。
斉藤周の個展挨拶に次のような言葉がある。

 子供の頃に何度となく父と訪れていたニセコ比羅夫での
 このスキー体験は、今まで感じた事のないような、強烈な
 高揚感が体の内側から湧き上がってくるものでした。奇し
 くもそれは自身の内なる部分をさらに掘り下げ、自身の原
 風景を呼び起こすきっかけになったのです。

古い木造のアパートがギャラリーとなったその空間で、今ま
でにない斉藤周の<身の内なる部分>が乱舞していた。
マンションに無い、木造の集合住宅が保つ柔らかい有機的な
空間体が、斉藤周の身の内なる片鱗を解放していた。

そして同時に瀟洒な現代美術のギャラリーで展示されていた
「纏う」蔦井美枝子の着尺展。
染めと織りの着尺の展示とそれで仕立て上げた着物一体。
この着物は、亡くなった母に捧げて仕立てたという。
今は亡き母の身体・その身に纏う着尺。

このふたりに偶然共通していたのは、亡き肉親への想いが、
作品を解放させかつ作品の素(もと)となっていた事だ。
亡き肉親の身体が自らの身の内から湧き上がり、飛翔し、
作品となっていた。
私はこの時<着物>という文字の保つ意味が初めて解った
ように思えた。
纏(まと)う<身>が先に在る。
<心身>と心が先に立つのではない。
<身も心も>と、<身>が心の底に在るのである。
作品という<物>は、そういう身のモノなのだ。

最近出版された吉増剛造の「火ノ刺繍」一冊にもそれを感じている。
厚さ6cm、1・3kgのこの本は、書物という身のモノである。
薄っぺらな指示表出の文字が横並びに氾濫する時代。
この書物はそれ自体が、時代に抗し<書き物>という身としても在る。

<身>の時代が始まっているのかも知れない。
”あ~と”と、物流の回路に流される衣装表出優先の時代に対峙
する、<身>という実体への位相構築。
心の奥底に身が在る。
自己表出と指示表出。
10月予定のドイツ在住の谷口顕一郎が今度の個展で初めて
する事があると聞く。
<ケン&アヤ>と名乗る事だ。
ふたりという<身>の顕在化である。
男女平等という心=概念ではない。
実体=身の自己表出である。
ふたりは13年前稚内からサハリンを経てシベリア大陸を越え
欧州へ辿り着いた体験がある。
欧州でのその後の谷口の活動を支え、ともに生きて来た彩さん。
堂々ふたりの名前で故郷に錦を飾るのが相応しいと、今思う。

クリスト&ジャンヌクロード
ジョンルイス&ミリヤナ・ルイス

現代美術とモダーンジャズにもこうした先達がいる。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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by kakiten | 2018-05-31 18:17 | Comments(0)


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