日本近代の優れたモダニスト鮎川信夫が戦後すぐに遺した
「アメリカ」という長編詩がある。
この作品には<「アメリカ」覚書>という異例の記述が添え
られ、最後に「私はやりきれない気持ちでこの作品を放棄する。
或いは放棄するところまで行っていないにも拘らず悪い眩暈
のうちで中断する。」と書かれている。
以後この作品が詩集に再録される事はない。
1947年7月と記された覚書とともにある「アメリカ」と
いう詩は戦中手記など従軍中も徹底して軍国主義の日本に反戦
の意思を抱き通した鮎川信夫の精神の位相にあった解放軍アメ
リカをストレートに表した詩でもある。
・・・・
「アメリカ・・・・」
もっと荘重に、もっと全人類のために
すべての人々の面前で語りたかった
反コロンブスはアメリカを発見せず
非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
われわれのアメリカはまだ発見されていないと
明治以降の近代化が鬼畜米英と破綻し。ノオモア ヒロシマ・
ナガサキと止めを刺された敗戦過程でもなお胸中に<アメリカ>
という理念が在った事をこの詩は照明している。
帝国主義的資本主義的一国ナショナリズムではない多国籍自由
ランド・アメリカの理念である。
その想いが戦中戦後を通じて<まだ発見されていない><われ
われのアメリカ>という言葉に深く秘められている。
そして至高の言葉を携えた使者が
胸にかがやく太陽の紋章を示しながら
宮殿や政府の階段をとびこえ
おどりたつ群衆をおしのけ
僕らの家の戸口を大きな拳で敲く朝のことを・・・
ああ いつの日からか
熱烈に夢みている
昭和尊王攘夷がノオモアヒロシマ・ナガサキで止めを
刺され消えた筈の明治・大正のモダニズムの熱い底流の
存在を知るのだ。
遠く漢字の到来が、やがて仮名文字を生み和歌・短歌・
俳句を生んだように、アメリカという戦後近代は新たな
種子として、新たな琉球、新たな蝦夷地、新たな東北を生む
かも知れない。
戦後すぐに書かれた鮎川信夫の「アメリカ」とその「覚書」
に、沖縄で感じたアメリカが重なり現在を撃つのである。
*追悼・八木保次・伸子展ー5月8日ー20日
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503