テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2018年 03月 25日

フイジカル・身体の宙(そら)ーランドへ(3)

一本の麦総体を小さな国とすれば、その中心は穂の実。
そこに麦の根・茎・穂の凝集がある。
実はパンの原料になったり、ビールの素になったりする。
その恵みを人は産地と都市で多くの人が味う。
そして産地⇒消費地の直線的消費回路が主流となる。
しかし麦はパンやビールだけに存在している訳ではない。
麦穂・茎は麦わら帽子にもなり、麦畑はゴッホの画材
にもなる。
小さな国が多くの地域に拠って本来成り立つように、
中心の都(みやこ)と地域は本来相互に有機的に結ば
れている。
私が那須の国で感じた足利市とその周囲の産地の関係は、
そうした近代以前から確立された回路存在だった。
その産地・人・都を結ぶ回路が、モノだけの物流回路へ、
人は都市企業労働力に分離先鋭化し、産物は消費物へと
特化肥大化している。
都(みやこ)とその周辺は、中央・地方と分離され、
総体としての身体・国を喪失しつつある。
麦でいえば実・茎・穂は一体でなく、フイジカルな麦の
総体は見失われる。
英語でいうメタフイジカルが、フイジカルを喪ってメタ
だけが浮遊しだす。
ネット社会の情報回路発達がさらにこの方向性を加速さ
せる。

今回の秋元さなえさんの展示構成は、一本の麦の保つ
凛々しさ、茎の直線の有機的な豊かさを麦の身体性
(フイジカル)として、再構成して顕したといえる。
前回の「ふたたび 花傍らに」展の村上仁美さんの
絹糸を使った展示、その前のトロッコ展示稲穂の〆飾
りとともに、女性ならではの<身・フイジカル>に軸
を置いた表現に感動している。
<身も心も・・>が人間の全身全霊で、表現もまた
大都市中心の身体風土喪失は危機なのだ。

古民家の身体尺度を基本とした二畳・一坪の世界。
最初は吹き抜け2階空間に怖いを連発するが、次第に
慣れ3・3平方mと翻訳され忘却していた自らの身体
尺度が甦り、居心地良いと長居する人たち。
かって一民族にひとつの尺度があったという。
それが次第に淘汰されグローバルな一単位に統合され
その国・地方固有の身体性が喪われつつある。
文化とは個々の固有性という身体性が原点であり、
そのフイジカルな基底を喪失して真のメタフイジカル
な抽象性・コンテンポラリーも生まれない。

米・米粒には稲穂の身体性が、麦・麦粒には麦穂の身体
性が固有に在って、それぞれが美しいのだ。
多種・多様の身体総体が輝く<国>こそが、”ランド”
そして、小さな”ミヤコ”が保たれる。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503






[PR]

by kakiten | 2018-03-25 14:23 | Comments(0)


<< 沖縄の蒼・青ーランドへ(4)      一本の麦ーランドへ(2) >>