俺は帰れ胸の奥処の泥の温みその肉声の端緒の祖国(くに)へ
賀村順治のこの歌がずっと気になっている。
彼が帰る<祖国(くに)>とは何処なのか。
そこで以前彼から聞いた実家のある新琴似の昔の逸話を
ふっと思い出していた。
この辺一帯はかって泥炭地で、寒さを防ぐ為みんなが燃料
に泥炭を掘り返し、至る処に穴がありそこに雨水が溜まり
池のようになって、時に子供が溺れ死んだりしたという話
だった。
何故この話を想い出したかというと、歌の中の<泥の温かみ
>という言葉が頭に引っ掛かっていたからである。
<胸の奥処の泥の温かみ>とは、彼が生まれ父・祖父が
生きた新琴似の土、その祖国(くに)の泥土ではないか。
<胸の奥処の泥の温かみその肉声の端緒の祖国(くに)>
に<帰れ>と叫んでいた賀村順治。
都心に産まれた私は私の知らない札幌を生きた賀村の人生
を思った。
2006年4月ひとりで初めて彼の家を訪ねた時、新琴似
駅から自宅まで彼の案内で歩きながら、途中新琴似神社の
ハルニレの巨木、そして周辺に残っていたハルニレの小さ
な森を指さしながら話した言葉がフラッシュバックする。
その時遠く近くに見えた手稲山連峰。
そして自慢した自宅庭の自生させていたキトピロ(アイヌ
ネギ)の小さな畑。
それらすべてが賀村の肉声・端緒の祖国なのだ。
声を発し、体が呼吸する処・・。
祖国とは何か。
故郷とは何か。
賀村には新琴似の原野、泥の温みとして在った気がする。
かって旧帝国大学北大寮歌として歌われた「都ぞ弥生」。
歌詞一番前半にある落差を、賀村順治は現代の札幌にも深い
処で感受していたに違いない。
都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂う宴遊の筵
尽きせぬ奢りに濃き紅や
その春暮れては移ろう色の
・・・・。
この都は札幌ではない。
札幌で弥生・三月に、花の香は漂わない。
しかし2番以降の季節感・風土感は北の国のものだ。
豊かに稔れる石狩の野に
雁遥々沈みてゆけば
羊群声なく牧舎に帰り
手稲の頂き黄昏こめぬ
雄々しく聳ゆる楡(エルム)の梢
・・・・。
この秋を歌った2番こそが私が賀村順治に案内された
新琴似風景だった気がする。
「都ぞ弥生」の<都>とは、江戸改め東京となった
近代日本の帝都・メガロポリス東京化した一元的都・
ミヤコであり、現在の札幌都市化とも対応するもの
である。
そこに賀村の故里・故郷、<肉声の端緒の祖国>はない。
日々大手代理店社長として戦場にいた賀村順治の背中に
あふれていた涙とは、彼の胸の奥処・泥の温みが生む涙
でもあったのだろう。
+鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日(火)ー3月11日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*秋元さなえ展ー3月20日ー25日
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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