林立するタワービル、漢字で書くと摩天楼の大都市。
山野に近く、低く疎らな人と家。
今はその風景の差異が当たり前のようにある。
しかし本来、都(みやこ)と産地(地方)の関係は
屋並みの高さではない。
地方という産地が人と共に産物を都(みやこ)に
集散地として結集して来た関係を言う気がする。
人が志と産物を抱いて集まる処(ところ)ー都。
根が凝縮して花となる処(ところ)ー花の都。
その花一輪がお花畑のように集結してさらに大きな
都(みやこ)がある。
那須の国の小さな一輪は、きっと足利。
そしてその向こうに江戸という大きな都がある。
従って本来都(みやこ)とは産地が底支えする根と
花の関係なのだ。
しかし現代はある時から、その関係性を都市が
地方を吸引する関係に変わってきている。
戦前の帝都、戦後の金の卵と称する中学卒業生を
持てはやした時代辺りから都市は地方を人的にも
産物的にも吸引する構造となって、都市自体も街
の裏通り仲通りの界隈性を喪失し続けてタワー系
の吸い上げる構造の街路に変貌して来た。
地方は大都市圏のエネルギー源ともなって、東京
電力の原子力発電所・東北に、関西電力の原子力
発電所・北陸に。
産物は大手スーパー等に集結しチエーン店で地方
各地に展開される。
吸収と分散。
高層タワービル構造と同じ吸収構造なのだ。
同じ構造で、都市という都(みやこ)は産地という
地方を人は労働力、産物は物資として吸収し続けて
いる。
都(みやこ)にも産地(地方)にも人の姿は消え
物流と情報が主導するメガロポリスーヒガロポリ
スー巨大大都市帝国圏があらゆる分野の構造体の
基底になりつつある。
人の代わりに電気エネルギーが支配し、孫悟空の
如意棒・筋斗雲と化しつつある。
その結果自然というお釈迦様は掌を広げ、自然の
野生という猛々しさを今、地球という掌(てのひら)
で現しつつあるのかも知れない。
都(みやこ)と産地(地方)が紡ぎあっている関係
が、その悲劇を回避する原則にあると思える。
*高臣大介ガラス展「紡ぎあう」-1月30日ー2月11日
*鈴木余位・村上仁美展「ふたたび 花傍らに」-2月27日
-3月11日
テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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