前回のブログを読んで根津の小山内さんから再び便りがきた。
<公共、住民参加といった言葉が欺瞞的に聞こえてしまうのは、「上」
から一方的に与えられる、というニユアンスが含まれて使われているから
だと思います。が、本来あるべき「公共」とは相互関係ーある時は人を
介し、ある時はモノを介しーの前提の上に成り立つべきものだと僕は
思っていて、中森花器店の開かれ方にある種の希望を抱くのです。それを
「公共」と呼ぶべきかわかりませんが、中森さんは僕にその相互の関係性
の(僕は敢えて「公共」とよびたい)本来あるべき姿を提示してくれていた
のです。>以上が書こうと思った内容なのですが、メールで伝わればいい
ですね(笑)沖縄時代から住民参加という言葉に対し、ジレンマを感じ続け
ずっと引きずってきているのですが中森花器店のあり方にひとつの解を見る
気がするのです。>
小山内さんのこの場への深い想いを私は重く垂直に感じる。ひとつの言葉
へのこだわりが各々にあって、その拘りがひとつの言葉を深めて意識の
逆転を生む。たかだか言葉というなかれ。なんの変哲もないよくある言葉
ひとつにもその人の人生が懸っている。沖縄での生活も含めて<公共>
という言葉に小山内さんの今の建築設計の仕事も含めて彼の過去現在が
ひしめいている。それは、私自身も別のプロセスを通してそうである。
そのプロセスの違いは、生きてきた人生上の違いではあるけれど、その
求め、否定する現実上の眼差しは一緒だったのだ。と改めて今思う。
生れも環境も違う人と人が出会うのは、そういう時なのだ。その時オーバー
に少し言えば、意識の<革命>が起きる。言葉の<命が革(あらた)まる>
のである。この場所で出会った人、作品、生き方それらすべてを含めて
彼は<場>を語っている。そしてその場とは、具体的にはこの建物も含めた
ある拡がりの内にある。その拡がりとは円山北町を拠点としたさっぽろの
拡がりの内にある。<公共>とはそういう拡がりの内にこそ姿を現してくる。
そんなふうに、<公共>を感じた事はなかった。そんなふうに寄り添うように
顕われることはなかった。
<私有>する力との立ち退き訴訟に敗れた今、小山内さんのいう<開かれた
公共>は私を勇気付け、インスパイヤーしてくれる。
私たちは、別の次元で<私有>の闘いを<革めた>のかもしれなかった。