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テンポラリー通信

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2006年 07月 27日

機械と道具のあいだー界を生きる(31)

今朝の気功講習会は中止となる。熊谷透さんの弟さんが危篤との事で急遽そう
なったのである。昨夜自転車を置きに熊谷宅に寄り危ないんだという話しを聞いた
ばかりで私はその時勘でいつも当別に帰る木曜日の気功の日は気を付けた方が
いい弟さんはその日を知っているだろうから何か安心して気が緩んだりするよと
言ったのだ。それが現実となって今日は最初のここでの気功講習は中止となった
。村岸さんの白樺の作品の前で気功を体験したかったので残念である。
先日中川潤さんが来て左手に包帯を巻いているのでどうしたのと聞くと電動鋸で
切ったという。40針縫ったと言うから相当の怪我である。幸い指の腱も神経も切れ
ていなくて指の動きには支障ないという。後日包帯を取った傷跡を見たがそれは椎
茸のように黒くデコボコに脹れ上がっていた。村岸さんは今回展示した白樺の倒木
を1日半かけて鋸で切ったというがこれは手動の鋸でもし怪我をしても電動とは違
って40針も縫うような怪我にはならないだろう。電動と手動の違いは道具と機械の
差でもあり便利さが増すだけその反動も大きい。森が恐ろしい勢いで消えているの
は勿論機械に拠る所が大いにあるのだ。ただ道具や機械はその使い方という技術
の要素もあるがその技術的な面をもっとシンプルにして最も一般的な人間に近い
道具はお金だろうと思う。この人間に最も近い存在である金銭、銭かねという道具
は先程の電動鋸とは違った牙のむき方をする。心を干上がらせ人間関係を疎遠
にする。今年1月末から当面無職無収入になりさっぽろを漂流していた頃ポケット
に5円玉と一円玉しかないときもあって惨めだった。そんな時喫茶店でコーヒーを
飲むのも人からお金を借りる始末でその後なにかその人とも疎遠になった。自分
では気にしない積もりだったが人の目は違ってきたように思う。お金のない裸の王
様状態でお金と言う道具が人の評価まで変えてしまうのである。何かを得るため
の道具が逆転して人の志、想いまでその多少で計られてくる。何もなくなって今も
四苦八苦の経済状態だがひたすらさっぽろを歩き廻っていた冬の2月3月4月は
特にそうだった。お金がどんどん入ってくる道具立て、そういう環境も知っていた
から機械ではないがそういう環境構造を切り捨てる生き方を選んだ自分に自覚
的であってもそれは自分の問題で決して他者はそんな風に見てくれる訳ではな
い。今現在の結果を先ず見るのだ。そしてそれはそれでひとつの正解なのだ。
ただお金は軽んずる物では決してないけれど、道具は道具でありその道具立てと
いう社会構造が機械のように化けて大きな逆転をしてこちらの心の身体さえも獲り
こむようになったらそれもひとつの構造的貧困死だと思う。お金がない貧困死もい
やだけれどこちらも嫌だね。中川さんの松笠のようになった傷跡を見ながら思った
こと、道具と機械の違いが痛々しく連想した事である。

by kakiten | 2006-07-27 16:48 | Comments(0)


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