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テンポラリー通信

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2006年 07月 20日

音の雫降る降るー界を生きる(25)

村岸宏昭さんの展示がほぼ完成する。吊り下げられた白樺の周りには筒状の
竹や金属の触ると音ので出る「茂み」という作品が幾つも雨の線のように上下に
吊られている。吹き抜けの二階から白樺を囲むようにそれらがある。見る人は自
由に触れ音を発する。さわやかな音色が響く。また白樺の幹に耳を当てるとそこ
には白樺の木が立っていた傍の川のせせらぎが聞こえる。根を失い枝を失った
白樺は今しかし雨の線のような音を立てる「茂み」に囲まれかっての生きていた
場所の川音に抱かれ立っているのだった。山の中の一本の倒木がこうして今体
内の水を静かに発散しながら仮構の自然のうちに居る。何らかの原因で倒れた
樹を元に戻す事は出来ない。しかしその樹を愛しみその樹を通してその樹の生き
た時間を再生しようとするある行為を人間はする事が出来る。そのある行為とは
表現として虹を架ける心挿す行為だ。現実の進行、結果その物に制止も変更も
叶わない。その不可能を見定めた時に何故かその不可能を超える心の行為を
人は現実を再構成するように成し遂げようとする。芸術や文化が力を保つのは
そういう時である。政治や経済が発する力とその基盤が違うのだ。何もなくなっ
た時死の時にこそその力が発揮される。本当に心が自由になる時間は現実の
解体の後にこそ訪れる。それは祈りのような時間かも知れない。政治や経済そし
て社会が管理し支配している時間の外にあるその止むに止まれぬ衝動のような
力、その現実的な結果の向こうにきらきらと輝こうとするものを人は何故形にしよ
うとするのか。五感の凡てをフル活動して、第六感、第六体として存在させようと
する。村岸さんがストレートな形で表現した空間はそこを根にしている。倒木の
1本の白樺の木が意味を持つのはその時間に存在するからだ。樹は根を喪った
が、作家はその樹に別の根を与えたのだ。そしてその樹は私たち自身の生と死
の界に今立っている。

by kakiten | 2006-07-20 13:18 | Comments(2)
Commented by ヨッシーです。 at 2006-07-20 16:01
『心指し、心挿すー岸辺の表情』(15) 2006年 03月 26日 TS通信より中森教授の「白樺の木」に対する愛慕の念が伝わってきます。
~~25年前の夏周りは木賃アパートが並び植樹した細い2本の白樺の木とピカピカ
の銅版の建物は異彩を放っていた。
~~
この地には西に広がる山並みと清冽な川の面影がまだ息づいていた。
そして街はまだ等身大の家並みが生きていた。そこで自分の時間がゆっくりと
深みを増し拡がっていくのを感じていた。2本あった白樺は1本になり大きく太く空
に伸びた。枯れて去った白樺は同時に今自分の中の何かでもあったような気がす
る。
Commented by kakiten at 2006-07-20 17:01
ヨッシーさん>なにかすごい勢いで伝わってきますね。約三ヶ月前の文章改めて読ませて頂き、そうですねえ白樺への同じ場所で時間を過ごし根を張った友情をどこか隠し切れず持っていた事にあらためて気が付いております。村岸さんが表現として試みた事はそれとは別でありながら
やはりどこかで共有したものもあるのでしょう。もっとも私の方が思い入れが入りこみかも知れませんが。当初あの白樺はマンシヨン化とともに
伐採と思っていましたから。建物は人が作った工作物ですが樹は根を張り梢を開く生き物ですからそこに重なるものがあったのです。命の時間が
です。私は動き歩き探しますが、樹は動かず歩かずそこにいるからです。


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