表現された音・絵・彫刻・言葉等にもその制作の故郷
(ふるさと)というものがあるのではないだろうか。
今月23、4日のASIAN MEETING Fesy
ival(芸術の森アートホール大練習室午後5時~)
を二日聞いた人が大感動していた。
10人近い国籍の違う演奏者が集まり開いた音楽会。
SIAFの大友良英も企画参加したこの演奏会場は、先日
吉増剛造と鈴木ヒラクの「石狩シーツ」のコラボのあった
場所でもある。
札幌国際芸術祭(SIAF)の吉増展メインの「石狩シーツ」
朗読映像とは真逆の時間と空間。
昼と夜、海傍と山中。
しかし朗読は違う様相を帯びつつそれぞれが深化して、ひとつ
であった。
違いには、場の位置、河口と源流、海と山、の相違が大きく
働いている。
1992年からブラジルで「母国語が枯れていくような経験
をし」94年帰国後「石狩河口に座り込み・・書いた」(吉増)
「石狩シーツ」。
その四半世紀の時にも変化はある。
しかし息づき根付き変化した、<ふるさと>は同じ。
もうひとつ大友良英と三岸好太郎の三岸好太郎美術館の展示
がそうだ。
この時代もジャンルも違うふたりの前衛表現者が、大きな泉
の地形跡に建つ美術館で、見事な交響・交感の場を築きあげ
ていたのだ。
場と作品の幸せな融合。
そこに新たな表現の場が発芽していた。
毎日新聞で3・11原発事故後の今を問う連載が始まった
と浪江出身の原田洋二さんがFBに転載している。
「故郷」という歌を自らに封印する被災地の人。
兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川
この歌詞が心を締め付け涙が止まらないという。
もう追えない、もう釣れない、 かの山、かの川。
汚染という現実が過去の見えない未来を、故郷喪失の想い
とともに胸に突き刺さるのだ。
時代を超え今に生きる芸術作品にも、生き物と同じ<ふるさと>
というものがある。
作品がこの地で新たな生命を生み、作品が<ふるさと>を
獲得している事も感じるのだ。
これから故郷喪失はさらに時代の風景となってゆくに違いない。
さらに故郷ー故国喪失の荒涼たる心の難民風景が世界を覆うか
もしれない。
作品が産まれ、育ち、息づく、作品<ふるさと>がまだある事
を私は信じる。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
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