6年前2011年11月の吉増剛造展「石狩シーツ」に関する
テンポラリー通信を読み返していた。
11月から12月末まで、前期「石狩河口/坐ル」後期「石狩
河口/坐ル ふたたび」の展示記録である。
「石狩河口/坐ル ふたたび」展は今に続く「怪物君」SIAF
の吉増展の出発展である。
その原点として1994年「石狩シーツ」誕生時の記録を前期
では詳細に展示し感想を記している。
2011年3・11を経験して、17年の歳月を遡上し「石狩
シーツ」という詩篇が、ふたたび立ち上げってくる。
それが今SIAFの北大総合博物館会場で蘇り実っている。
その深い意味を、あらためて6年前のブログを読み返し、心に
深く刻まれるものを感じているのだ。
2011年からさらに17年遡った1994年の記録を展示した
6年前の<・・・ふたたび>の始まり。
失意と閉塞のブラジル滞在を2年で切り上げ帰国した詩人の孤独
な闘いは23年前に始まっていたのだ。
そして2011・3・11に啓示を受けるように、もうひとつの
闘いが始まっている。
恐らくブラジル日系社会で感受したであろう、明治後の近代化で
移民した人たちが、昭和中期の国粋・国家主義に犯される事なく
地球の裏側で保たれていた故国の精神(こころ)の純度。
その時現代詩人としての葛藤が、明治以降の近代と向き合い、敗戦
後の戦後近代と向きあう現在の吉増剛造の<ふたたび>の現在を
今に至らしめているのだ。
ブラジルで見た明治近代化に対峙する日本の原像。
2011年3月11日に見た戦後近代日本の実像。
このふたつの近代化に対峙する根の根源に吉増剛造は、大野一雄
と吉本隆明の存在を「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹」のように
見ている。
この軌跡は一詩人だけの軌跡ではない。
私たちが普遍的に抱え込んでいる現在の基底に横たわっている
同時代の井戸の湧水だ。
ランドとしての故国は帝国圏構造に破綻し、戦後現在は大都市圏
主体のメガロポリス構造へ進み3・11に破綻の兆しを見せだして
いる。
「石狩シーツ」はそうした吉増剛造の奪還の基調低音(トニカ)
として、今も在ると思う。
*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。
火・木・土・日ーam12時ーpm7時
水・金ーam12時ーpm4時
月曜定休。
*菅沼碧展ー10月17日ー29日
*ホピ・カチーナドール展ー10月31日ー11月5日
*鈴木余位+村上仁美展ー11月16日(木)~12月予定
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