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2017年 08月 31日

剛造六腑(Ⅲ)ー緑陰(19)

北大総合博物館吉増剛造展で見ていなかった映像を見に行った。
「石狩シーツ ふたたび」の大画面に気を取られ、他の3本は
充分に見ていないのだ。
特に石狩シーツ朗読の翌日ひとりで石狩へ行き、撮影された一篇
が気になっていた。
耳にイヤーホーンを当て映像を見る。
スターバックスの席で「怪物君」草稿を広げ始まる。
何時ものようにモノローグの語りと手回しカメラと右の手。
スターボックスのシンボルマークの女性が映る。
そして吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」を書き写して
いる草稿上の筆・手。
原文をカタカナ化して丹念に一字一字手が文字を織っている。
筆写というより、文字を織る、という感じだ。
さらにそこに筆の色を変え、自分のその時に浮かんだ言葉が
加えられていく。
その後石狩新港の埠頭と思しき場所で、銅板を拡げハンマーで
点を打刻しながら、ひとり語りが始まる。
いつも持ち歩く様々な宿るものをぶら下げたピーチハンガー。
それを埠頭にあった大きなゴムタイヤーの前に吊り下げ、手前
のこれもそこにあっただろう太いロープがイナウ(御幣)のよ
うに置かれている。
それを祭場のようにして手前に故若林奮さんから戴いたロール状
の銅板を展げている。
ハンマーで点を打刻し昨日の「石狩シーツ」を振り返るように様々
に語られる。
埠頭で作業する作業員、荷物を移動するトラック、フォークリフト
・・。エンジンの爆音。
そして最後にフォークリフトに書かれたmitubishiのMに
話しかける。
あのMはMurakamiさんのM、yabuMaeさんのMかな
と呟いて終わる。
これを見終えて、イナウのようなピーチハンガーにぶら下がってい
たゴーギャンの女性の絵に、スターバックスマークの女性の映像が
重なりtransparentして根の像を結んでいた。
「石狩河口坐ル ふたたび」で始まった「怪物君」の径(みち)。
その<ふたたび>の深みにあるー<女坑夫さん>ー<織姫>が、
時代と詩作の根源のように顕れていた。
大野一雄の石狩公演の、アンコール<離れがたい>のように。

大野一雄・吉本隆明を通して吉増剛造は、ふたつの近代と対峙して
いる。
それは、精神(こころ・観念)から身体(み・実践)に及んでいる。
「怪物君」の草稿はその身体(み・実践)の表現の顕れなのだ。
内科医がコンピューター画面に映し出す内臓の映像のように、吉本
隆明の著作を吉増の手が一字一字書き写し、崩し、一面に着色し、
変容する。
<身も心も・・・>の<身(み)>の行為。
頭脳が手指を動かし、手が機械を操作する。
その反対だ。
手がすべてに触り、心を動かす。
GOZOCINE(カメラ)はそれを記録している。
内科医のコンピューター画面とは正反対の位相の身と心。
心(観念)より身{実践)を優先させている。
文字を一字づつ皮を剥き、確かめ、素材にする。
徹底的に手で触れ、目で確かめ、知の舌で味見する。
その仕込みの過程こそが「怪物君」の全仕事である。
そこに輝くものが、transーparent(函・根)
の透明な美。
カーリフトのMに幻想されるのは石狩の女坑夫さん・絹の
道の織姫なのだろう。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月10日まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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by kakiten | 2017-08-31 19:25 | Comments(0)


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