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テンポラリー通信

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2017年 07月 15日

心身ー泉=メム(21)

漢字で書くと、<心身>・・と心が先に置かれるが、
ヤマト言葉で書くと、<身も心も・・>と身が先に
置かれる。
意味する事からいうと、後者の<身も心も>の方が
なにかしっくりくる。
時に英語で、フイジカルーメタフイジカルなどと云
う事があるが、その意味の説明には<身も心も・・>
が一番しっくりくる感じがする。
文字が中国から輸入され、ヤマト言葉は初めて文字を
もち表現される。
その時音訓両用の使い方が生まれ、文字もまたひらかな
仮名文字が生まれた。
ただの真似・模倣ではなく、消化し工夫した文化の力だ。
もし私が先に記したように<心身(シンシン)>よりも
<身も心も(みもこころも)>により共感性を感じると
すれば、私の中のヤマト言葉が生きているからだ、と思う。
ましてフイジカルーメタフイジカルという英語よりもっと
体温に近い。
そうした身体に本来馴染む言葉を、我々は随分粗末にして
はいないだろうか。
横文字を使ってなにか最新で格好良く浮き足立っている。
大体<横文字>という言葉ももう死語となりつつある。
解らない言葉の代名詞の総称がヨコモジだったが、街中
横文字表記だらけの時代である。
日本語すら縦書きは少なく横表記が全盛なのだ。
言葉の魂の種子が日常の土壌に深く深化せず、流行りの風
に吹かれて空に舞い、消えてゆく。

言葉だけがそうした状況に在るわけではない。
<心身共に>そうした状況に、自然・社会両環境において
置かれている気がする。
<身>は、この異常気象の常習化に、<心>は両極の貧富
差そして再びの<ノーモア>と横文字化される戦後近代の
不安に晒されている。
移動・移住・移民の主体性を喪失した心の難民状況が、都市
に始まり村落にまで、ノーモア・フクシマの戦後近代の波は
押し寄せているのだ。
<身も心も>挺して、私たちはその最前線で闘わねばならぬ。
極めて日常の個的最前線で、その闘いは闘われてあるのだ。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)
 am12時ーpm8時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2017-07-15 15:46 | Comments(2)
Commented by 竹中英俊 at 2017-07-15 16:14 x
現代中国語では「身心」であると聞いたことがあります。また、日本語では「心身」は「神身」とも書かれ、ちょっと面白いと思っています。
Commented by kakiten at 2017-07-15 19:55
なるほどね・・・。言葉は世に連れ・・と言う事でしょうか・・。神身とは、現人神の時代でしょうか・・・ね。


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