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2017年 07月 04日

過ぎてゆくものー泉=メム(18)

なにかで読んだ事がある。
人は何時人となったのか。
人類以前のふたつ猿人の化石を調べ、そのひとつに
添えられた花の化石が見つかったという。
弔う気持ち、それが人類の先祖の証(あかし)と
書かれていたように思う。
事実かどうかは別にして、なんとなく納得した記憶
が残っていた。

過ぎゆくものを惜しみ悼む気持ちは、人特有の精神
と思うからだ。
人は人だけではなく共に過ごす日常のさまざまなモノ
たちにも、そうした愛情を抱いてきた。
そこに新旧の過激な差別・区別はない。
新しいモノは新しいものとして、古くなったモノは
古くなったものとしてそれを愛おしんだのだ。
きっと人は人と同じ命をそこに見ていたからだろう。
絹の衣装にも木の箱ひとつにも、人の手が重なり人の
手が触れ創っている。
その過程の記憶が、モノに命を宿らせるのだと思う。
ある時代まで人は、間違いなくそうして自らの生の
日常と重ねてものと接してきた気がする。

先日終わった三人展「なんのためにあるのか」のひとり
桑原菜穂さんは、群馬の出身で生家の実家にはかって
お蚕(かいこ)さんの棚が在ったという。
絹の故郷だ。
日本近代初期唯一の輸出産業が絹織物である。
絹の道を経て横浜へ。
それこそ異人さんのもとへ海を渡ったのだ。
やがて安価で大量生産の化学繊維に押され廃れるが
、絹織物を培った女工さん、織姫たちの手の命は、
桑原さんの展示した百余年前の打ち掛けに間違いもなく
宿っていた気がする。
蚕と人の手が糸で繋いだ絹の纏いもの。
その過程こそがきっとモノに命を宿らすのだろう。

森羅万象、すべてが過ぎゆくモノである。
しかし過ぎゆく<時間>すら、記憶の炎となって
時空の小宇宙に命を宿すのだ。
白い空き函の中で、ふっとそんな事を思っていた。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)
 正午ー午後8時。:鼓代弥生・チQ・岡田綾子・藤川弘毅
 ・酒井博史。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2017-07-04 15:28 | Comments(0)


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