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テンポラリー通信

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2017年 06月 08日

咀嚼・分解・吸収ー泉=メム(7)

4人のアフンルパル探訪の写真・話を見聞きしな
がら、ふっと頭に浮かんでいたのは、「怪物君」
草稿とGOZOCINEの映像だった。
昭和25年26歳の吉本隆明が手で描いた枡目・
罫線の原稿用紙に記された詩集「日時計篇」。
その詩行を筆写しその草稿の上に絵の具が氾濫
する「怪物君」の吉増草稿。

 にんげんは再び穴居して
 かぎりなく視なければならぬ

例えばこの二行の詩を吉増の脳内臓は咀嚼し、反芻し、
分解し、吸収しようとする。
その咀嚼的視覚過程そのものが吉増の「怪物君」草稿
・GOZOCINEである。

アフンルパルの破壊され草で覆われた螺旋の窪みを
歩き入る4人の姿は、私には罫線・枡目が時代の草藪
の中で見えなくなる真詩を追う吉増の目と手の動きと
重なって見えるのだ。
脳中の知的五臓六腑全てで吉本隆明を咀嚼し分解し
本質の詩を吸収しようとする。
その過程がアフンルパルを歩き廻る行為・時代・自然
環境と重なるのである。
そして1950年{昭和25年)の朝鮮戦争後方支援の
特需景気、神武景気、やがて高度成長のバブルへと突っ
走る戦後近代の鳥羽口に対峙した吉本隆明思想の原点
草稿を逍遙し探求する吉増剛造の手足と重なるのだ。

ヒロシマ・ナガサキそして戦後チェルノブイリ・フクシマ
を経て今問われている自然宇宙と人間社会の本当の界(さ
かい)の原点を、吉増剛造の「怪物君」の仕事と古代遺跡
アフンルパルの位相は、どこか共通のトニカを時代に響か
せているように私は感じる。

*3人展「なんのためにあるのか」ー6月23日(金)ー7月2日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平×古館賢治ライブー7月中旬
*5人展ー7月25日ー30日:チQ・鼓代・岡田・藤川・酒井。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2017-06-08 15:32 | Comments(0)


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