色んな人が来る。
それぞれの出身地が立ち上がる。
勿論札幌もあるが、本州の各地九州、四国、沖縄
南の匂い、土の匂い、海の風がする。
それも初対面、知っていても初めて深く話した人
がほとんどだ。
その内のひとり、一作日初めて逢って昨日また来て
くれたT氏は、神奈川県茅ヶ崎の人だった。
彼は勿論吉増フアンであるが、私はその住所に惹か
れるものがあった。
あの明治の治水学者岡崎文吉の終焉の地茅ヶ崎が
閃いたからである。
早速その話をすると、なんと郷土の歴史的人物を
調べている人で、岡崎文吉の名前を知っていたのだ。
そこで死の一年前彼が自宅庭に建立した生前墓石の
話をしてその碑文を見たいと以前から思っていたと
話すとすぐ調べますと応えてくれた。
岡崎文吉について私の資料・映像を参考に話をする。
段々興奮して来るのが分かる。
またひとつ河口に流れ込む新たな川のル=道が見え
てきた。
1887年岡山県から札幌農学校工学部に入学した
岡崎文吉が治水学者として実践した最初の仕事が、
当時の石狩河口・茨戸に自然工法護岸跡として今
も遺されている。
今も変わらぬ主流の効率重視ショートカット工法に
よる河川改修は、自然の川の蛇行を重視した岡崎の
自然工法を退け岡崎は北海道を追われ満州へ赴く。
そして終戦間近な1945年横浜茅ヶ崎で死を迎える。
その前年生前墓碑を自宅庭に岡崎は建立するのだ。
その碑文を一度確かめたかった。
私のもうひとつの石狩河口の入口・出口である。
その茅ヶ崎に住む人が吉増剛造展に来た。
早速彼のSNSに岡崎の碑の写真が投稿されていた。
T氏は明日もまた吉増展を見る友人と来るという。
T氏の報告に刺激されこの友人も関東から来るという。
8月に「根源の手」に続き「火ノ刺繍」を出版する
響文社社主高橋氏との出会いも深く響くものがある。
これも今回の河口の出会いの一つだ・・・。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃ル=道」ー5月28日まで。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503