「われわれの身体が、空間のなかにあるとか、時間の
なかにあるとかと、表現してはならない。われわれの
身体は、空間や時間に住み込むのである。」
(メルロー・ポンテイ「知覚の現象学」)
薩川益明「札幌少年記ー石狩街道」冒頭近くの引用だ。
この時、<空間>とは、時代・社会と自然・風土という
ふたつの基軸回路によって構成されると思える。
身体は、自然・風土環境と基軸回路を通じ、同時に時代
・社会環境とも基軸回路を通じている。
自然の荒々しい野生を開墾し、風土として緩衝地帯を創
り上げ、そのゾーンを故里と呼び故国とした時代社会環境。
その時代社会環境がもたらす様々な制約・恩恵。
自然・風土と時代・社会。
このふたつが取り巻く環境現象の内に、人は<住み込み>
生きる。
薩川益明さんの「札幌少年記」には、時代社会が、自然
風土と分かち難く住む人と共に息付いている。
尖鋭な都市構造という社会構造がまだ緩く、自然・風土
がまだ緩やに存した時代、人が<住み込む>だ狭間の空
間なのだ。
・・・何輛かが連結され、黄色く塗られた車体をもつ
ガソリンカーが、何故かいつでも南から北へ私の追憶
空間を、かなりの速さでかけぬけてゆく。
過去と呼ぶには、けたたましすぎる、一種の活気に溢
れた音響を残して。
このあたり、創成川の西岸は道路になっており、東岸
はそのぎりぎりまで、商家が建ち並んでいた。
裏側から見ると、どんな家業の家も、その後ろ姿は似た
ようなもので、手押しポンプがあったり、洗濯物がひる
がえっていたり、季節にはたいへんな数の大根が干され
ていたりした。
「石狩街道」から
すでにこのふたつの空間描写に、現代の尖鋭な時代社会の
予兆と喪失をみてとる事が出来る。
けたたましいガソリンカーに、新幹線・高速道路の現代が、
似たような後ろ姿の家屋に、現代の高層ビル群林立が想起
される。
消えたのは、手押しポンプ、洗濯物、干された大根という
水と野菜という自然・風土の風物。
同時にそこに住む等身大の人影も消えてゆく。
メガロポリス(大都市圏)ゾーンと化した現代の社会構造
は、進歩と発展の名の下、自然・風土という空間を希薄化
し、われわれの身体の<住み込む>時間・空間の空洞化も
増幅してきたと思える。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー5月9日(火)ー28日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き