今年4月亡くなった薩川先生の資料を整理していて、
分厚い葉書・封書の束の内に連載エッセイ「札幌少年記」
3篇のコピーを見つけた。
「石狩街道」「自転車のこと」「カーネーション」
の3篇である。
読み返し、昭和初期の中島公園界隈、北十二条界隈
の人と風物が体温を保って脈打っているのを感じる。
北大正門前を過ぎて、北十二条の停車場で電車を
降りると、まっすぐ創成川に向かって4丁ばかり
歩く。広い道路はしんかんとして、どういうわけか
私たちのほかに歩行者の記憶はまったくないのだ。
何本かの高いポプラと、両側のしもたやの、少し
ケバ立った灰色の下見板と、おぼつかない足はこび
で、私たちの前をよこぎってゆく、乳房の垂れた野良
犬と。
こうした、少し寂しげな界隈の雰囲気は創成川にかか
る十二条橋に近づくと、にわかに生き生きとした賑や
かさを取り戻す。
<十二条の家>の前には、石狩街道が南北に走り、そ
の両側には、蹄鉄屋や、馬具商や、おやき屋、雑貨店
やが軒をつらね歩行者も多く、とにかく何かの音が絶
えることなく交錯していた。
母の実家十二条の家を訪ねた時の記憶に残る風景である。
創成川の西側に沿って立ち並ぶ家屋の記憶、そして蹄鉄
屋のフイゴの火、馬の蹄の焼ける独特の匂い等が記され
ている。
「自転車のこと」は、父が初めて買ってくれた新品自転車、
まだその頃級友の内で、自分の自転車をもっている者は
数える程もいない時代で天にも昇るほど嬉しかった事。
それは実は家業の牛乳配達の為の自転車だった事。
そしてその自転車の使えない冬場の配達苦労、届け先や回
収瓶に見える世間がまとう様々な香りや匂いを幼いなりに
嗅ぎ分けられるようになったと書いている。
「カーネーション」は、中島公園(中島遊園地)界隈の
生家筋向かい活動写真弁士の家の子守トシちゃんがくれた
極彩色のカードの想い出。
その内の一枚<カーネーション>の姿に激しく心撃たれた
記憶を記している。
・・或いはあの時子守のトシちゃんがくれた絵札の<カー
ネーション>を通じて、抽象的な感受性というものが、花
の姿に肉化されて、私のうちに宿ったのかも知れないと
いまにして思う。
<小地主、市役所の吏員、列車の機関手、活動写真の弁士、
呉服の行商、交番のおまわり、生花の師匠などが私の幼友達
の親のなりわいであった>という界隈で、時に隣で花札賭博
中の男たちが取り締まりから逃げ込んでくる事もあった。
そんな中で未知の花{カーネーション)は、<なんとも説明
しようのない切ない情感が、その花みずからの色に染め上げる
魔力をもっていた>と記している。
この3篇の文章には、かっての札幌のある界隈の感性の土壌
となった風景がみえてくる。
それは「石狩街道」冒頭の
<空間>とは、もっと本質的に私たち人間の生活とかかわり、
私たちそれぞれの肉体によって住まわれた、血の通う、具
体的ななにものかでなければならない。
という言葉に収斂される。
このように自身の育った小さな界隈を故郷として語れる人は今
どれ程いるのだろうか。
*吉増剛造展「火の刺繍乃道(ルー)」ー5月9日{火)ー28日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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